手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
報酬を受けることが
手話通訳をしている、したと「錯誤」
全国手話通訳問題研究会結成について、第1番目の問題として、手話通訳者の全国組織を創りあげるまで状況は成熟していたのかという問題があった。
手話通訳者が全国的に配置されていなかった問題もあるが、手話通訳している人でも手話通訳者と呼ばれたり、手話通訳している人への反発もあった。
今日、手話通訳をして、それなりの報酬を受けることが手話通訳をしている、したと「錯誤」している人が多い。
家族や職場で、いやいろいろな場面で手話通訳をしている人が多いが、それを手話通訳件数としてカウントしないでいる。それはそれでいいのかもしてないが、何らかの報酬を受けて手話通訳している人だけを手話通訳と言うのは改めるべきだろう。
全国手話サークル連絡会という
全国組織をつくればいいので
1974年頃には、全国的に手話通訳者が配置されていないという未成熟な状況であった。しかし、手話サークルは、全国各地域でつくられていた。
そのため、全国手話サークル連絡会という全国組織をつくればいいのではないかと言う意見も出されていた。
ところが、ある県に複数の手話サークルが存在し、お互いが協力し合う良好な関係であればいいのだが、対立している手話サークルも多かった。さらに、手話サークルが出来て消えて、また出来てと繰り返す府県も多かった。
手話サークルに郵便物を送っても宛先不明で返ってくることも多かった。
全国発送の郵便代は、大変な負担となっていてある手話サークルだけではとてもまかないきれない状態にあった。
そんなことを考えると、全国手話サークル連絡会という全国組織をつくるという考えは現実的ではなかった。