手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
以下の文章は、理解するのは困難だろう。
なぜなら、率直な意見が出されていないからでもある。
手話サークルはろうあ者とともにつくられていた地域が多かった。だが、ろうあ者が参加しなくなっていった主な原因が出されていないからである。
読み書きできる、話せるろうあ者に手話サークルの人々が集まり、そうでない自分たちろうあ者は阻害されている、という話が各地で出されていた。
手話が読み取れるろうあ者、手話が読み取れないろうあ者、という言い方が手話サークルで話されていたが、それは教育を受ける機会が保障されていなかったろうあ者を排除することに繋がるという事に気づく人々が少なかったからでもあろうか。
この問題が払拭されないまま時は流れていく。
第7回全国手話通訳者会議 第4分科会「サークルの諸問題。学習」について
健聴者本位の考え方
第3のろうあ者の参加者減少傾向については、たとえ交流会にろうあ者が参加し、その中で健聴者が学んだ手話を実践してみるということは確かに大切な事ではあるが、反面健聴者本位の考え方でもある。
ろうあ者と健聴者が接触する際には、原則として聴者がろうあ者に歩み寄る。
かつろうあ者にとって役立つようなことが必要でいあり得る所が聴者の方が多い様な活動では、ろうあ者が離れてゆくのはある意味で当然といえる。
ろうあ協会の行事等に
健聴者が参加してゆく
健聴者主催の会にろうあ者に集つてもらうのではなく、ろうあ協会の行事等に健聴者が参加してゆく方が望ましい。
相互に役立つためには、1つとしてろうあ者、健聴者の役割分担により互いの特長を生かした情報を、交換できるような場を多く設けることによって相互の交流も長続きし、 又、 良い成果が生まれてくるのではないか、ということがあげられた。
最後に、全体を通してまとめられることは、各地域の手話サーク ルがそれぞれの情報を交換し合つたことにより、多様なタイプが浮き彫りにされ、各サークル員が広い視野で活動を見つめ直し、よりよいサー クルにしていくための織とすることができるのではないだろうか。