手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
手話を学ぶ側の教訓を凝縮して制作
中学生高校生のための手話テキストをろうあ者の人々とそれを見つめた手話を学ぶ側の教訓を凝縮して制作した。
として、いくつかのポイントをあげた。
1,家族とも会話も.「食ぺる」「ねる」ぐらいの身ぷりだけ
2,佐藤さんを訪ねるようになって5年。佐藤さんは.やっと心を開きその日の出米事を身ぶりで語るようになった
3,田中さんが、「元気?」の手話をする。佐藤さんから「元気」という答え
この部分は、説明した。
何が言いたいのかわかるんですもの
私はまだまだだわ と言える謙虚さ
ところで、
4,全身で何かを語る 田中さんは.「ふんふん」とうなづきながら、ときおり手を動かして話を確める
5,田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの 私はまだまだだわ
6、山本さんはつぶやいたなぜか、そのつぶやきが.今のぼくの心に残っている
田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの 私はまだまだだわ、と言う手話サークルの山本さんのことばに、手話を学ぶ基本的姿勢と謙虚さを織り込んだ。
40年の月日を打ち破る5年は長くて短い
未就学のろうあ者の佐藤さんにろうあ協会の田中さんが5年かけて話しかけ、ようやく会話が成立するようになる。
5年という月日は、長いように思えるが、未就学のろうあ者の佐藤さんは家族以外の人との関わりがないま40年間生き続けてきたのである。
40年の月日を打ち破る5年は長くて短い。
1960年代から1970年代にかけてそれまでろうあ者の人々と共に未就学のろうあ者へ働きかける手話通釈者は希であった。
だが、手話を学ぶ人々が多くなると、ろうあ者の人々と共に未就学のろうあ者へ働きかけ、手話をコミュニケーションとして成立出来る糸口を模索しはじめた。
ところが、手話通訳者は、未就学のろうあ者との会話を成立させることは難しかった。
同じ聞こえない者同士だからコミュニケーションが成立すると思うのは誤りであるが、粘り強く未就学のろうあ者に働きかけ。コミュニケーションを成立させていくろうあ者に感嘆したことも多く報告されていた。
謙虚なこころで手話を学んでほしい
田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの 私はまだまだだわ、と言うはなしは多くの実例から書いたが、手話を学ぶ人々は、あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの 私はまだまだだわ、という謙虚なこころで手話を学んでほしい、また現実そうなのだという事があった。
資格で権威付けるのではなく
内面の意思を引き出し尊重し
コミュニケーションとしての手話を教える
最近、手話通訳士や手話通訳をする人々の中には、以上のような謙虚さを失い、これはこうだ、これが正しいとのみ言い切り、自らを権威付けする傾向を見るにつけ、このような人は、家族以外の人との関わりがないま40年間生き続けてきたろうあ者に手話を拡げることは出来ないとさえ思える。
なぜなら、その人のもつ内面の意思を引き出し、それを尊重しながらも、コミュニケーションとしての手話を教えることが出来ないと思うからである。
人間は、同一条件、同一環境の中で生きているのではない。それぞれが異なった条件で生きている。
だからコミュニケーションが成立しないと言うことではない。
違いを認めて共通部分を見いだし、その共通部分から違いを認め合うコミュニケーションを成立することが手話通訳をする人々にもとめられているのである。
それは資格試験に合格して資格を有しているから出来るということでは決してないだろう。
たしかに、資格試験の在り方にも根本的な問題があるが、大切なことは、ろうあ者の言いたい気持ちを充分表現することが一番大切なのである。
イヤという表現でも、ただイヤとだけ通訳して通訳したことにはならない。
イヤという全身で表現される「イヤ」に一番あてはまる「ことば」を伝えてこそ手話通訳したと言えるだろう。
その点では、手話通訳者の道は、長く厳しく、果てがない。