手話 と 手話通訳

京都の手話通訳者の取り組みと研究の中からの伝承と教訓をみなさまに提起します。戦前戦後の苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを決して忘れることはなく。

ろう学校の教師 が 子どもの言っていることがわからへんと言うわけ

f:id:sakukorox:20190912185823j:plain

手話を知らない人も手話を学んでいる人もともに  From hand to hand
                 {特別投稿}ろう教育の常識と前提 故藤井進先生からの伝承

 

恨みを蓄積されてもキッパリ言う勇気

 

  藤井進先生が語った、
「うちの嫁はんが責め立てる。私は高校の教師と結婚したんで、ろう学校の教師と結婚したんではない。」「ろう学校の教師をしているんやったら、私は離婚します。」と言われる。責められる。普通の高校に出すようにしてくれ。
「なんでそんなこと言うんや」と言い、「それはろう学校の生徒に対して差別していることになる。」と大げんかになった、と。

 

このこと は、後々恨みをかいそれが蓄積されていく。

 

それはそうだろ、

職員室の机の下に一升瓶を置いたり、ウイスキーの瓶が転がってたり、宿直で麻雀している先生などたくさんいた、学校の周りの畑に先生が、ネギとりにいって、すき焼きする、ことがまかり通る状況の中で常識的な意見を出しても多数の教師がそのようなことをしていたのだから批判意見を持つ教師は露骨に疎まれた。

 

  疎まれるのがイヤな教師は見て見ぬする。

 

 でもこのことが京都ろう学校で1950年代に許されていたのはなぜだろうか。

 

子どもたちがわかるように
  子どもが言っていることを

  わかろうとしない

 

 ろう教育に対して、子どもに何言ってもわからへん、子どもの言っていることがわからへん、と言いながら、それを口実に何もしない教師たちはろう学校での日々を怠惰にこなしていた。

 

 子どもに何言ってもわからへん、子どもの言っていることがわからへん、と言うなら、子どもに言って子どもたちがわかるようにする、子どもが言っていることを分かろうとする、のが当然で、常識的なことだろう。

 

 子どもの言っていることが分かる、教師の言っていることが子どもに分かる、この常識的な相互作用がろう教育の中で成立していなかったのは明白だった。

 

教師が何もしないでいいのだとする
   暗黙の了承と経済的理由
 
 教師が教えても、子どもたちは分からないし、子どもたちが言っていることが分からない、どうしようもないのだという口実は、教師が何もしないでいいのだということを暗黙の了承を得たとするものであった。

 

 1950年中半以降、さまざまな運動の反映として特殊教育に携わる教員の待遇は大きく改善されてきた。

  定員・給与もそうであるが、その中でも意外に知られていない特殊教育額について少し述べておきたい。

 

 この特殊教育額は、「心身の障害を持つ児童・生徒の教育をつかさどる、勤務の特殊性を考慮」として基本給与× %ということで年々改善された。(現在は大幅に削減されているが)

 

 すなわちこの手当は一般的な公務員に支給される手当ではなく、基本給に組み込まれたもので、後でつくられる教育調整額と含め生涯賃金に換算すると他の普通普通教育に携わる教員と比べると大きな差がついた。

 

 給与、賞与、退職金、共済年金

 

  ろう学校の教師は
普通学校の教師よりはるかに多い収入が

 

 ろう学校の教師として、努力をしないで、「子どもに何言ってもわからへん、子どもの言っていることがわからへん、」と言い続ける限り普通教育に携わる教師よりも多くの給与を受け取ることが出来たのである。

 

 このことが基礎にあることが意外に知られていない。

 

 ろう学校の教師を続けていたらはるかに多い給与を受け取ることも出来たし、退職金、年金もより多く得られたのである。

 

 ろう学校の教師を辞めて府立高校に異動したいと言いつつも、内実、異動しなかった教師が少なからずいた背景にはこのような経済的理由があったことを見逃してはならないだろう。