手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。投稿をお寄せください。

全国手話通訳問題研究会 基金の使途不明について

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手話を知らない人も手話を学んでいる人もともに
    全国手話通訳問題研究会基金の使途不明問題 資料及び意見

 

 2020年2月頃から(手話と手話通訳)のコメント欄に「手話通訳問題研究のための全国手話通訳問題研究会基金及びその使途不明について」の文書が各地の手話通訳関係の方々に郵送などされているが、十分分かりきれない、全国手話通訳問題研究会運営へ疑問を抱くようになったことが多々あるとのご意見及び資料が寄せられていました。

 

 (手話と手話通訳)のコメント欄は承認の可否を決める設定になっていましたが、基本的に中傷したり、事実無根であったり、プライバシーに関わる問題は承認してきませんでした。

 

 しかし、「手話通訳問題研究のための全国手話通訳問題研究会基金及びその使途不明について」については公開とされていること、(手話と手話通訳)に関連する事項が多いことも判明しました。

 

 そこで、(手話と手話通訳)への「投稿が」が一段落したので、みなさんからのご要望に応えて「全国手話通訳問題研究会基金の使途問題 資料及び意見」として掲載させいただきます。

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 だだし、文書が長い場合は分割して掲載させていただくこと、個人名称等は掲載しない。

 

どうしても個人名称等が必要な場合は、ABCDなどのイニシャルにすること、寄せられたコメントは上記以外は原則承認させていただきますのでご了解ください。

 

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分からないままの私も私なんです I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキスト

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 手話を知らない人も

         手話を学んでいる人もともに

  From hand to hand{伝えておきたい手話と手話テキストのことの覚え書き}

 

  友子さんと健一さんとの再会。

 

 このシーンは、I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストを開いた時に友子さんの動きは動きとして。健一さんの動きは動きとして描かれていました。

 

 いくら考えてもこのシーンは、二人の会話はなく連続した絵が描かれていました。

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 このI IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストをつくったかたに聞こうと思い尋ねてみました。

 

 すると、I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストで一番悩み、難しかったのがこのシーンをどうするのかと言うことだったと言われるのです。

 

 それで、二人はどのようなことを話して、理解し合い、友だちになったのか分からないと言いました。

 

 すると
「どのように話したのかは、みなさんに話していただきたいと思って、あえて会話は入れていません。」
「I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストは、読まれた方や見られた方がその時々感じられたこと、考えられたこと、をその時々に大切にして、同じ処を歩んでいるようでじつはそうではないのでは、と考えられるようにつくっています。」
と言われました。

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 この話はこころに残っているのですが、いまだその意味が充分、分からないで悩んでいます。

 

 そこで、分からないまま私ですと書いてI IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストの覚え書きを終えさせていただきたく思います。

 

 みなさんのご意見をお待ちしています。

 

 

 

耳の日記念集会の出来事 文字にされていない会話へ I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキスト

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 手話を知らない人も

         手話を学んでいる人もともに 

  From hand to hand{伝えておきたい手話と手話テキストのことの覚え書き}

 

かよ子先生は「耳の日記念集会

参加の招待チケットまで用意してくれた

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 さて、I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストで一番理解出来なかったシーンへと話は展開して行きます。

 

 健一さんは、
耳の日記念集会があるから一緒に行かないか」
と同じ手話サークルの人から言われた。

 同じころ、担任のかよ子先生からもさそわれていた。かよ子先生は集会参加の招待チケットまで用意してくれた。

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 3月3日、耳の日会場でもらったプログラムの中に、ろう学校高等部演劇クラブとある

「友子さんもこの劇に出ているのだろうか………」
劇が始まった。

 

 ろう学校の女の子と健聴の男の子の出会い、けんか……と話は展開していく。

 

 女の子を演じているのは友子さんだった。そして、健聴の男の子というのは、僕のことのように思えた。この劇は、僕と友子さんの話なんだ、きっと。

 

 友子さんは、僕と出会ったことを真剣にうけとめて、彼女なりに考えつづけてくれていたんだ。

 

 友子さんと健一さんの会話はなく
 絵だけが描かれているシーンをめぐって

 

先生「山田君、とてもいい劇だったね」

 

健一「ええ、かよ子先生にさそわれて、この集会に来て本当によかったと思っています」

 

先生「さあ、友子さんのところへ行きましょう」

 

健一「エッ!?」

 

 先生の後をついて行った。先生はろう学校の演劇クラブの人たちのところへ行く。

 

 先生は友子さんのことを知っているのかな?

 

と書かれていて次のシーンは、まったく友子さんと健一さんの会話はなく、絵だけが描かれているんです。

 

 友子さんや健一さんが、どのような話をしたのかまったく書かれていないのです。

 

 どうしてなんでしょう。

 

 たくさんの人に聞いたり、感想を聞いたけれど、ほとんどの人は「わからない」と言われたけれど「書かれているじゃないの」と言われた方はひとりだけいました。

 

 「書かれてないよ」「書かれているよ」の繰り返しでした。

 

 

手話学習は行動しながら学んでいく I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキスト

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 手話を知らない人も

           手話を学んでいる人もともに

  From hand to hand{伝えておきたい手話と手話テキストのことの覚え書き}

 

  手話やろうあ者の人々のことを

     理解してもらうために

 

 健一さんは、「町民のみなさんへ」という手話やろうあ者の人々のことを理解してもらうためのパンフレットを持って町を回ることになります。

 

 健一さんはそのことを、

 ぼくは商店街だ。ろうあ者の山口さんが手話で話す。ぼくが通訳(と言っても前もって教えてもらった通り言うんだけど)する。

 

「今ろうあ者が買い物をしたい、商品のことをくわしく知りたいと思っても、手
話のできる人が少なくて困っています。ろうあ者問題を多くの人に理解してもらうためにパンフレットを作りました。ぜひ読んでください」

 

「商売がいそがしくって、とてもそれどころじゃ……」

 

「手話をおぼえるの大変ですからねえ」

 

「きこえない人?お見えになりませんよ、うちには」

 

とまあこういう声もだされた。

 

 もちろん「ごくろうさまですねえ」とこころよくパンフを読んでくれたところ
も何軒かあった。

 

  わかってくれる人は少ないけれど
    ふえてきているのはたしか

 

「自分の職場や家の近所の人にも、ずいぶん私たちのことを話したんですよ。話したおかげで筆談してくれるようになったり、買い物なんかも行きやすくなりました。まだまだ私たちのことをわかってくれる人は少ないけれど、ふえてきているのは確か。苦しいけれとど、うれしいこともいっぱいあります」とは、あるろうあ者の話でした。

と書かれています。

 

 ここには、聞こえない人のことを手を合わせて多くの人に訴えることで、「わかってくれる人は少ないけれど、ふえてきているのは確か。苦しいけれとど、うれしいこともいっぱいあります」と言うろうあ者のことが書かれています。

 

 理解は、簡単ではないけれど少しづつ理解が広がっている。

 

 苦しさよりもうれしさが増えてきていることも書かれています。

 

 たしかに、理解するということは言えても、心底理解出来るかどうかは、別なこととして考えなければならないなあっと思ったりします。

 

 「商売がいそがしくって、とてもそれどころじゃ……」と言う人の中に理解出来る状況があると考えることも大切なようにも思えました。

 

 理解していないというのは簡単ですが、理解してくれる人は少ないけれど増えてきていると考えられる自分になっているかどうかが問われるのじゃないかなぁと思えるシーンです。

 

 なにもしないでいろいろ言うのは簡単ですが、行動しながら学んでいくことのほうがもっと大切なのでしょう。

 

 

未就学のろうあ者とろうあ者のリーダー会話の渦中へ I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキスト

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 手話を知らない人も

     手話を学んでいる人もともに 

From hand to hand{伝えておきたい手話と手話テキストのことの覚え書き}

 

  手話も十分知らないし文字は書けない

   読めないろうあ者との出会い

 

手話サークルに入った健一さんは、ある日次のような誘いを受けます。

 

「ろうあ者の佐藤さんの家へ行くんだけど、いっしょに来ませんか?」

 サークルの山本さんに誘われて、ある日曜日、ぼくは佐藤さんの家を訪ねた。

 

 手話サークルでは、ろうあ者の家を訪ねて、交流を深めているそうだ。佐藤さんは未就学、つまり学校へ一度も行ったことがないろうあ者だった。手話も十分知らないし文字は書けない、読めないとのことだった。

 

 健一さんは、手話学習をテキストだけではなく実際に行動して学びますが、学校に行ったこともなく手話も十分知らないし交字は書けない、読めないというろうあ者のかたとであった時はどのような気持ちだったんでしょう。

 

  学校があるのはあたりまえ

 読み書き出来るのはあたりまえ
 ろうあ者は手話をしっている

  などの考えがすべて消える瞬間

 

 学校があるのはあたりまえ。読み書き出来るのはあたりまえ、ろうあ者は手話をしっている、ということがすべての思い込みがここでは打ち消されたのではないかと思います。
 
 家族との会話も

 「食べる」「ねる」ぐらいの身ぶり

 

 佐藤さんは、生まれてすぐ熱がもとできこえなくなった。戦争が始まり、遠くのろう学校へ行くお金もなく、学校へ入れないまま農業を手伝って生活してきた。

 

 家族以外の人との関わりがないまま、40年間生き続けてきた佐藤さんは、話す
こと、書くことはもちろん手語話さえできない。家族との会話も、「食べる」「ねる」ぐらいの身ぶりだけ。

 

 すごいあの身ぶりを見て

   何が言いたいのかわかる

 

 健一さんはとてもとても愕いたと思います。

 

 I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストでは、このことで手話をもう一度学び直す意味を考える場面を提供していたように思えます。

 

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 5年間もかけてろうあ者や手話サークル員が、佐藤さんを訪ねる。佐藤さんは、やっと心を開き、その日の出来事を身ぶりで語るようになった。ぼくらが行くと、佐藤さんは、待っていたように手まねきをして、家の中へ入れてくれた。ろうあ者のリーダー田中さんが、「元気?」の手話をする。佐藤さんから「元気」という答え。

 

というストーリーのなかに「元気」という手話がひとつ、佐藤さんの身についていたことがります。

 

 佐藤さんは、テレビを指さし、全身で何かを語る。ぼくには、さっぱりわからない。山本さんもけげんそうな顔つきで見ている。

 

 田中さんは、「ふんふん」とうなづきながら、ときおり手を動かして話を確める。

 

山本さんは、田中さんのようすを見て、

「今日、テレビで火事のニュースを見たらしいわ。たぶんそのことを話しているんだと思うわ。田中さんってすごい。あの身ぶりを見て、何が言いたいのかわかるんですもの、佐藤さんの立場に立って考えるからなのね。 私はまだまだだわ」

とつぶやかれる。

 

  手話サークルの山本さんが分からないことが、なぜ、ろうあ者のリーダー田中さんに分かるのかというテーマがここでは鋭く問いかけられていたと知るのはずいぶん後のことでした。

 

聞こえない人と聞こえる人は簡単にわかり合えないのですか I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキスト

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 手話を知らない人も

                  手話を学んでいる人もともに 

From hand to hand{伝えておきたい手話と手話テキストのことの覚え書き}

 

 I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストでは、友子さんは、ろう学校の先輩を訪ねて話を聞く、では、健一さんはとなると手話サークルへ入って手話学習するストリーになっています。

 

 友子さんは、聞こえる人々の気持ちを知る方向ではないのです。このことを不思議に思っていたのですが、どうも二人の生徒にアドバイスした先生の役割が大きかった、いや、二人の先生はなんとなく生徒にアドバイスしたのではないことが解ってきました。

 

    簡単にわかりあえるものじゃないわよ

 

 健一さんは、

ぼくは、友子さんからの手紙を読んで、何とも言えない気持ちになった。なぜ、こんなにも気持ちが行きちがったんだろう。ぽくは、友子さんたちを本当にわかろうとしていなかったんだろうか………。

 

と悩み、担任のかよ子先生に相談します。

 

先生「そう簡単にわかりあえるものじゃないわよ。先生は、よくわかるわ。もしあなたが、友子さんともう一度友だちになりたいと思うなら、友子さんの言うように、もっと手話をおぼえることも大切じゃないかしら。先生ならそうするわよ」

 

健一「この町に手話サークルがあるそうですけど」

 

先生「じゃあ行ってみたら、あなたの他にもどんな人が手話を学んでいるか、知るのも大切じゃないの」

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  この「どんな人が手話を学んでいるか、知るのも大切」というアドバイスはとても大切であり、二人のことをよく知っていたことが I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストに描かれているのに気がつきませんでした。

 

  なめらかな手話でろうあの人に
   ぼくの言葉を伝えてくれる

 

 健一さんは、手話サークルに入ります。大学生、会社員、主婦、友子さんよりも大きく広く手を動かして語りあう光景、に圧倒されたというストーリーです。

 

 ここで健一さんは、なめらかな手話で、ろうあの人にぼくの言葉を伝えてくれるサークルの人をみて、ぼくもあれぐらいうまくなるぞと決意します。

 

  なめらかな手話でろうあの人にぼくの言葉を伝えてくれる、このなめらかな手話、と言う文を何げなく読み過ごしていました。

 

 正しい手話とか誤った手話とか、きれいな手話とか、上手な手話という表現でない「なめらかな手話」の意味を最初は、見すごしていました。

 

  間違いがない正確な手話、きれいな手話
    ではなくなめらかな手話

 

 手話は、ひとつひとつ間違いがない正確な手話、きれいな手話、と手話講習会で教えられたことはありましたが、なめらかな手話通訳などは聞いたことはありませんでした。

 

 よく考えてみると、たとえ間違いがない正確な手話であっても、手話を見る側からするとギクシャクしたひとつひとつの手話の組合せではなく、連結し合いながら手話表現がされていく手話が、見やすいし、手話の強弱をつけることで微妙な意味合いも表現出来るのではと思えるようになってきています。

 

 手話の流れと言ったらいいのでしょうか、流れの中に制止や強弱を入れるなどのことで「なめらかな手話」という文章表現がされていたのではないかなぁと考えています。

 

聞こえない人の気持ちを理解してとする手話講習の空白 I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキスト

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 手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに 

  From hand to hand{伝えておきたい手話と手話テキストのことの覚え書き}

 

 I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストでは、友子さんのこころの葛藤が書かれているようです。

 

  何かしてもらうことばかり考えていた私
私ってなーに  言えるようで言えない時期

 

 私ははずかしくなってきました。今まできこえない友だちの中で育ってきた私は、健聴者の人たちに何かしてもらうことばかり考えていたようです。 自分からは何もしていません。 健一さんがもっと手話をおぼえてくれさえすれば… …。 そんなことしか考えていない自分に気づきました。

 

この友子さんの話は、とてもよくわかります。

 

 自分ってなんだろう、人は自分のことをどのように思っているのだろう、私ってどんな自分、何か自分の意見を言いなさいと言われてもなにも言い出せなかった時期。

 

 人がそだっていく時期と友子さんの悩みが重なって、思わず忘れていたことを思い出す場面です。

 

 みんながわかり合える方向を表現しようと

 

 友子さんは、かわりはじめます。

 

 そして、

 

友子「健一さんのこと、私はきこえる健一さんと友だちになれてうれしかった。
みんなもそう思うでしょう。私、いままで考えてきたの。
いつも私たちは、きこえない人ばかり集まって、けっこう楽しく遊んでいるけれど、本当は心のどこかできこえる人と友だちになりたいって思っている。知らない人が手話で話しかけてくれたらとってもうれしいでしよ。健一さんも手話をおぼえようとしてくれた。交化祭にも来てくれた。でも健一さんは、私たちのようすを見て、私たちきこえない人は、きこえない人同士でいるのが一番いいと思ってしまった。

 そうじゃないってこと。

 健一さんだけでなく、他の健聴者の人たちに、きこえない私たちの気持ちがわかってもらえるような劇をつくりたいの」

 

と言います。

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 「私たちは私たちでではなく」「お互いの状況を理解し合って」「みんながわかり合える」方向を劇でも表現しようと友子さんは言います。

 

 違う。無理解。同じ。理解し合う。

 

このこころの揺れが次第に自信と希望を見いだして行く。

 

I IOVE コミュニケーション中学生高校生手話テキストを手にした人々が考えるように書かれているようだったんです。

 

 いいとか悪いとか。理解していない理解していないとか。それだけで判断することのもろさが描かれているようにも思えました。

 

 そのように考えはじめると、手話講習会で聞こえない人の気持ちを理解して、とか、聞こえない人の気持ちになって、とか。

 

 手話学習をする時の心構えで強調されていたことは、なにかしら空白部分があるのではないかと思いはじめてきています。