手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

2018-02-09から1日間の記事一覧

1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京都府職員の手話通訳

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 1966(昭和41)年12月21日 京都府議会本会議 京都府議会議長あてに三つの要請本会議場において通訳をしてもらいた…

初めて京都府職員の手話通訳者が府議会議事場の演壇のすぐ横に立ち

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 未就学のろうあ者も含めたろうあ者も含めて京都のろうあ者の悲惨な生活を大きく変えていく取り組みの胎動は、1969年にあ…

「とても不可能だ」と思われてきたことを可能にした あの「娘さん」

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 出会ったやろうあのなかま その時の聴覚障害者の施設いこいの村の所長は大矢さんだった。 さっそく出会って大矢さんと話をし…

自分の家以外にも家がある人々がいる社会がある 「なかま」であるろうあ者がいる

手話を知らない人も 手話を学んでいる人もともに{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介 私は年老い過ぎて、娘も年老いた、これから先のことは考えるすべもない、とお母さんの「ことば」。 「なかま」であるろうあ…