後述する初期ろうあ者の権利を守る手話通訳者という言い方をした内容には、ろうあ者と手話通訳者が対等関係にあるという点で一定の弱点がある。が、しかし、上記に述べた考えが重要な柱として位置付けて考えられていたことは決して忘れてはならない。
だからこそ、京都の手話通訳者は、「手話表現における手話の配列・順序とその多義的変化」を継承し、従来の手話表現で表現できない場合などは、「手話通訳者集団として検討し、ろうあ者・ろうあ協会と意見交流する。」立場を貫いたのである。
手話通訳をしても たえず
「通じているか」「通じていないか」を検証
③手話通訳者は、それぞれの地域やろうあ者の状況を充分把握するため日常交流が大切であり、手話通訳をしてもたえず「通じているか」「通じていないか」を検証し、通じていなかった場合は、手話通訳はもちろんさまざまな状況把握と原因を追及し、その解決にあたる。
そうでない限り、手話通訳者は、手話通訳をしているのではなく、ただ単に「手を振っている」ということになり、手話通訳者の自己満足に帰結する。
その点では、手話通訳者もろうあ者もともに「ともに学び合う関係」でなければならない。
だから、いわゆる「空手話通訳=ろうあ者がいないのに手話通訳をしている。」は、その場に居ない、存在していないろうあ者にあたかも手話通訳していることになる。
それは、はたして手話通訳を保障しているのだろうかということまで話された。
ろうあ者の話したい、言いたい、聞きたい
知りたいということはあくまで基本条件
ようするにろうあ者の話したい、言いたい、聞きたい、知りたいということをあくまで基本にするのが手話通訳である、ということまでに到達していた。
これらの課題は手話通訳保障の発展とともに考えていく問題であるともされ、未整理な課題もあえて決めつけず残された。
いつでも、どこでも手話通訳ということは目指すが、ろうあ者の話したい、言いたい、聞きたい、知りたいということをあくまで基本に、ろうあ者が居ると言うことが前提でないと、ろうあ者への手話通訳とはなり得ないということまでは考えられた。
ろうあ者が自由で創造的につくりあげ
洗練の極致に達した手話が「破壊」「否定」された
④ 以上のことを踏まえて話通訳者集団としては、定期・不定期にろうあ協会と対等平等な意見交換を持って、検討・研究を進め手練(スキル)の向上をはかることなどであった。
①、②、③で述べたように手練(スキル)などの報告は、手話研修講座や京都における手話通訳の諸問題等で報告されたが、印刷費用・映像として記録できなかった時代制約などの中で手話通訳者の取り組み報告は、困難を極めた。
現在、この重要で高次な研究が追求されていたにも関わらず、そのことを引き継ぎがれ解る範囲で少しでも調べ、それを伝承しているとは考えがたい。
1960年代以前に使われていたろうあ者の手話表現が一部記録され残っているが、それを引き続き保存し、研究・検討するための基礎的手話知識を持つ人々がほとんどいなくなった。
そのことに拍車をかけたのは、後述する国・厚生省による「新しい手話」の開発・指示によって、ろうあ者が自由で創造的で、洗練の極致に達した手話が「破壊」「否定」されたことである。
全国の手話の調査・研究はもちろん記録すらほとんど調べられないまま、苦労と悲惨を抱き合わせながら手話を創造してきたろうあ者が次々と死、それとともに使われていた手話を知ることは、ほぼ「絶望的」な状況になっている。
そして、好き勝手な手話解釈やろうあ者が創造した手話をまったく無視してこれが伝統的に使われた手話と決めつけられている。
そういう時代ではない。
そういう時代だからこそ、ろうあ者が創造してきた手話を多角的に学び、そこにある人間性と苦悩を踏まえた手話の伝承が強く、強く、求められている。
手話通訳を一番必要として、それが叶わなかったろうあ者に応えるためにも。