手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

日本最初 京都府議会議場内 で 手話通訳 が行われた 議員の間で紛糾したが 次の時期へ

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    「ろうあ者のかたがたがが、生きがいのある社会になるよう」という真意

 

 「ろうあ者のかたがたがが、生きがいのある社会になるよう」との知事の「答弁」をめぐって手話通訳者の配置という答弁がなかったことで失望感とともに一定の評価が分かれたが、京都府議会で正々堂々と手話通訳が行われ、手話通訳の必要性が京都府議会と京都府に認めさせたことは全国的に見ても画期的なことであった。

 

 しかし、京都府知事の

「ろうあ者のかたがたがが、生きがいのある社会になるよう」

という真意まで理解する人は少なかった。

 

     学ぶことを重視 ろうあ者のための

    成人講座などが活発に

 

 京都府議会でろうあ者の問題が取り上げらて以降、京都府では、京都府下各地で毎年ろうあ者のための成人講座などが活発に行われ、未就学であったろうあ者も含めて社会学習する機会が数多く設けられて行く。

 

 もちろん学習といっても座学だけではなく、社会見学や料理教室などの多様・多彩なものであり、その都度、ろうあ者と充分な相談が行われた上で実施されたのである。

 

   初めての傍聴 京都府議会傍聴場一杯に

 

 京都府議会で手話通訳が府議会議場に入り、傍聴したろうあ者は聞こえる人々の感想の抜粋を少し掲載しておく。

 

   乏しくて苦しみ

 不安に悩まされている人々を拾い上げて代弁

・議員の発言は、世の中から、乏しくて苦しみ、不安に悩まされている人々を拾い上げて代弁して下さったのだ。

  

  片隅でひっそりと暮さざるを得なかった私にも新らしい道
・府会という公的な場所で、ろうあ者の問題が論じられた事の意義は大きい。ろうあ協会の会員は六〇〇人程度で必ずしも大きくない。
 その一人一人についていえば、生活上にいろいろと悩みや困難が大きいが、必ずしも数の多くない人々の問題を論じることには、大きな勇気が必要だったと思います。

 

 いわば、社会の片隅でひっそりと暮さざるを得なかった私にも新らしい道が開けたわけである。
 これで私達のろうあ協会の発展のために、一層力を尽さねばならないことがわかった。だからこれからも私は、皆の先頭に立って努力する覚悟である。

 

ろうあ者の人権は口さきだけでは

決して守られない具体的な事実の積重ねこそ

・府会をはじめて傍聴した。手話の通訳が、議場内に置かれた。

 このことにまず感激した。
 

 ろうあ者の人権は、口さきだけでは決して守られない。
 守られるとすれば、このような具体的な事実の積重ねによる。

 翌日の読売新聞に、手話通訳の議揚内立入の可否をめぐって府会本会議が遅れたとのっていた。

 

 このことについては、府民の一人として怒りと大きな批判を持つ。


 ろうあ者の問題がこのように、真正面から、真面目にとりあげられたことに関しては、感動と敬意を感じる。

 

 ろうあ者といえば気の毒だという実際には

 蔭でけいべつしたり、悪口をいったりする場合が多い

 

・長時間、目で他人の話を看取るのは、大変疲れる。議員の発言は、大へんよい。

 世間の人は、ろうあ者といえば、気の毒だというように感じるが、実際には、ろうあ者を蔭でけいべつしたり、悪口をいったりする場合が多い。

 この意味でも、議員が、府会という公の席で、堂々と真正面から私達の問題に取組んだことは意義深い。

 ただ知事、部長の答が抽象的で、具体性がない。

 この点ある程度その真意に疑問を持つ。

 私達どしては、どうしても早くろうあ会館を建設したい。

 

 この府会によって府の当局者も私達に対して目を開いてきている。これをより一層具体化してほしい。

 

 私達の願いはもう府議員のみんなが知っていて

   話が進むと思った

 

・はじめて府会本会議を見た。
 私達ろうあ者は、毎年私達の総会の時に「手話の出来る相談員がほしい」又「ろうあ会館がほしい」と決議してきた。

 であるから今日の本会議ではこういう、私達の願いは、もう府議員のみんなが知っていて話が進むと思った。

 しかし私の見た限り、ろうあ者問題は、府議員にとっても初耳のことが多かったようだ。

 おかしいなあと思う。

 だから、議員が私達の問題を真正面から取り上げたことには大きなよろこびを感じる。

 今後蜷川知事その他の方々がいわれたことが、本当にどう府政に反映されるか、注目していきたいと思う。

 

一般社会へ何の卑下もなく、全く一個の人格を持った人として、安心して入って行ける日が一日も早く

 

・今日は、京都府会創始以来といわれるろうあ者の府会傍聴が、通訳付きで許可されると聞き、息子夫婦(ろうあ者)に代って、大きな期待を抱いて集合時刻におくれぬようタクシーを走らせた。

 

 ろうあの人達は、指文字や手話で話をしておられる。その顔には明るさ楽しさが一杯という感じだ。
 同じ障害者同志といった安らぎがあるのだろう。

 

 この人達が一般社会へ何の卑下もなく、全く一個の人格を持った人として、安心して入って行ける日が一日も早く来てほしいと願いながら、なおさら本会議に期待をかけて時間を待つ。

 

 午後二時開会と開いたが開会のベルが鳴ったのは四時三十分。

 

 その間、向野先生を通訳として本会議に入れるということについて、府議会内に異論が出てもめ、時間がおくれたそうだ。

 

 ろうあ者に通訳はつきもの、議揚に入れて当然と私は思う。

 はじめてといわれるろうあ者傍聴許可の英断を下しながら一歩後退するような話に呆れる。

 

 いよいよ問題の議員の五つの質問が始まった。

 一言一句聞きもらすまいと、発言者の顔をみながら要点をメモ。

 

 ろうあ者の問題に関する限り議員の質問要旨にうなずき、心中拍手を送った。

 

さて知事の答弁が聞きもの。

 蜷川知事は、議員の府は何も方策を講じていないというのは、少し云い過ぎだが、現況を十分認識把握していなかったことは、如何にも自分の方が悪かった、大いに反省する。と卒直に認めた。

 

 さてそれではどうすればよいか、ろうあ者のために就職、結婚、その他あらゆる社会的な問題を卒直に相談し、指導受ける。どんな施設を作ればよいか。

 

 相談して順次改善して行きたいとの答え。

 もっとも直接には、市区町がやるべきことといくぶん逃げ気味なのは気にかかる。

 

 まあしかし善処しようという答は得たわけ。
 

 しかし如何なる方法で又対策で善処されるのか、これが問題であって、言葉の上、机の上だけで終ってはならない。

 

 我々はこれから知事をはじめ理事者側の良心と態度にしっかり目をむけて、ろうあ者が一日も早く職場でも、世間でも、結婚問題でも又一般社会人からも人間として処遇をうけ、何等の不安もなく、祉会生活が出来る時代が来るように、理事者側もその身になり、その気になって実のある対策が立てられることを願う。

 

 なお府の方はそれとして市の方は、どうなのか、親としてこの点不安が残る。