手話通訳保障のための必須事項
京都市の専任手話通訳が設置されて手話通訳者(当時は手話通訳者のグループとして手話サークルみみずく会手話通訳団が位置づけられ、それが京都の手話通訳集団を代表していた)の中で次のことが確認され実行されていくことになる。
窓口だけの手話通訳ではなく 出かける手話通訳へ
行政の中での仕事をともすれば住民の来所を待ち受けて対応することが多く、手話通訳者が配置されても窓口に来るろうあ者の対応業務と限定されてしまう危惧があった。
手話通訳者の中で手話通訳者が行政に採用され行政での手話通訳を行っていく場合は、「待ちの手話通訳」ではなく「出かける手話通訳」として行動し、手話通訳保障の基盤を形成していこうというものであった。
このような行動で手話通訳者は、行政の窓口で待機し、行政に来るろうあ者のために手話通訳をすることだけではないというイメージを行政内外にアピールし、ろうあ者の生活全般に関わる手話通訳保障を実現して行こうというものであった。
徒歩で片道1時間半 公用車は自転車
事例 5-1
京都府下のある自治体で専任通訳者となった手話通訳者が、手話通訳に行くときは、バスか、徒歩、とされた。
当時、障害福祉の分野で家庭訪問することなどはまったく想定されていず、障害者が福祉事務所に来ることを前提にしていたためである。
そのため手話通訳者が手話通訳に出かけるときは、徒歩で片道1時間半ということもしばしばあった。
バスを利用するにしても一日数回しか走っていない路線も多かった。そして、やっと公用車が使えるようになった。
その公用車は、自転車であった。
手話で「汽車・割引・場所」
当時の行政にはろうあ者福祉の対策は皆無であり、福祉事務所が手話で「汽車・割引・場所」でその本質的意味が表現されたように国鉄乗車券の割引券をもらうためにろうあ者が行政に行くぐらいであった。
手話通訳者が窓口に配置されてもろうあ者が行政に来ることもなく、
「手話通訳者の配置を要求しながらろうあ者が手話通訳を求めることがほとんどないではないか。これでは手話通訳者の配置を止めても仕方がないだろう。」
と表面的現象だけで行政側に把握されて手話通訳保障が「つぶされてしまう心配」があった。
手話通訳者が配置 手話通訳を呼ぶとことのない経験
さらにろうあ者の側からすれば、いつでもどこでも手話通訳に来てもらえるということにならないだろうし、現実的に手話通訳のない生活を過ごしてきたろうあ者にとって手話通訳を呼ぶと、いつでも、どこでも来てもらえるという感覚と実感は育っていないことが推定できた。
手話通訳者が行政に配置されたから手話通訳依頼が殺到するという机上のプランではなく、ろうあ者の現実生活を見据えた考えは行政の手話通訳保障を切り拓く点で重大な意味を有していた。
手話通訳者の業務を大巾に制限する考えの打破
行政の中では、ろうあ者のあらゆる生活場面に手話通訳を行うことは、住民のプライバシーに関与することになる。
行政はあまねく住民のために対応すべきものである。などの理由で行政に配置された手話通訳者の業務を大巾に制限する考えは根強くあった。
これらをろうあ協会はもちろん行政に配置された手話通訳者とそれ以外の手話通訳者の連携プレーで徐々に打破して行くことになる。
手話通訳は公的行為であり私的行為ではない
手話通訳者が行政に配置されたからそれで手話通訳者の公的保障が実現したと終わらせられないためのひとつに「京都市認定手話通訳」制度の確立があった。
現代では、京都市のこの制度は存在するものの当初の本質的意義は大きく失われている。