手話通訳制度調査検討委員会報告書(1985年5月20日)の問題点とその後の手話通訳制度に与えた影響 (1)
手話通訳制度調査検討委員会の発足に至る経過
1981(昭和56)年2月14日の参議院での手話通訳に関する質問は、福島県議会での代表質問が議会で手話通訳の問題が取り上げられて初めだった。
それから、19年の月日が過ぎていたが、その間、各地の自治体では手話通訳者の配備がすすんでいた。
国は手話通訳の専門性と手話通訳者の身分
の位置づけの方向を検討することを約束した
1981(昭和56)年2月、福島出身の国会議員の質問内容はそれまでの手話通訳要求を踏まえた歴史的成果をふまえ説得力のあるものであったため、当時の厚生大臣は、「手話通訳の専門性と手話通訳者の身分の位置づけ」の方向を国として検討することを約束した。
ところが、その後、その回答は急変させられていく。
厚生労働省官僚の憤り、焦りと巻き返しと統制
この背景には、厚生労働省官僚の巻き返しがあったと噂されたが、それを証明することは明らかにされないでいる。
しかし、1981(昭和56)年2月以降の厚生省の動きや対処を見るとなぜか、噂と符合していく。
手話通訳者の身分の位置づけ
にふれなくなった厚生省の意図
1981(昭和56)年2月以降、手話通訳制度化に関して2度にわたる国会質問が行われたが、その都度、厚生省側の答弁は大きく変化し、「手話通訳者の身分の位置づけ」にふれず、1981(昭和56)年2月14日の参議院での手話通訳に関する答弁を「説明」もないまま、「訂正」厚生行政側がイニシアチブを発揮できやすいような方向性が打ちだされた。
日本の福祉制度の根幹に関わる
大変微妙で基本的な問題
この時期の動きは、手話通訳制度化だけでなく日本の福祉制度の根幹に関わる大変微妙で基本的な問題が多くあり、私たちが知り得る範囲で解明し、その後の歴史的教訓を踏まえた総括が必要となっている。
現段階で明らかに出来るのは、厚生大臣の答弁である「手話通訳者の身分の位置づけ」に対して厚生省・労働省官僚があわてて、関係団体にさまざまな重圧を加えてその要求を封殺する動きがあったことは事実として明らかに出来る。
担当者の実名や行動・プライバシー
思想調査まで秘密裏に調べる官僚たち
後述する通称「アイラブパンフ」運動でも、その執筆者の実名調査や運動の方向を打ち出した担当者の実名や職歴はもちろん、日常的行動・プライバシー・思想傾向などを秘密裏に調べるなど厚生省や労働省の役人としてあるまじき行為がなされた。
厚生省や労働省の幹部、一部公安関係などの動きに恐れおののいて自己防衛のために彼らに協力する人々もいた。
このことは、当時調査に答えた人々からも一部反省と共に証言がとれている。
厚生省官僚の「野望」と
焦りと深刻な問題を孕んでいたが
奇妙なことに調査に答えた人々はみな一様に、「アイラブパンフ」運動が全日本ろうあ連盟と全通研との協議ですすめられたにもかかわらず、ある人物の名前をあげ、その人物の「画策」のみで自分たちはそれに従っただけだ、と厚生省・労働省官僚に答えていることである。
この背景には、厚生省の補助・事業助成・団体からの寄付問題を打ち切るとする強力な圧力があったが、「手話通訳者の身分の位置づけ」を実現すると、当時、厚生省が考えていた大がかりな「福祉制度の改悪を覆す」ことになるという厚生省官僚の焦りと深刻な問題を孕んでいたと今では断定できる。