手話通訳制度調査検討委員会報告書(1985年5月20日) の問題点とその後の手話通訳制度に与えた影響 (5)
手話表現は
ひとつ・ひとつで成り立っているのではなく無数の組み合わせ
手話による会話は、手話のひとつ、また手話のひとつ、とで成り立っているわけではない。
たとえば、最小限に限定して「手話がひとつ+手話がひとつ」で手話が構成されそれで「異なった意味を持つ手話」が形成され会話が成り立っているとする。
すると、その「ひとつの手話」が約2000としても「ふたつでひと組」の会話が成り立っていると計算してみてもその数は莫大な数になるのである。
デジタル時代は、まさにそうである。
理不尽なことが平然と国会の場で答弁する政府の非科学性
+と- の組み合わせで膨大な情報を創りあげている。++- のような組み合わせで。
ところが、デジタルの到来を新時代かのようにいうのに、政府は、手話の単語の少なさを問題にし、その組み合わせによって表現される未曾有な表現を否定する。
理不尽なことが、平然と国会の場で言明するという厚顔無恥なことをやってのけたのである。
ろうあ者のコミニケーション手段としての手話を大切にする人々は、この時期をきちんととらえないで目をそらしてはいけない。
手話通訳制度化出来ない理由を虚構へと引き落とす
「語」か「個」かであっても組み合わせるとその数は「組み合わせ数式」で計算しても驚く数になる事実を見なければいけない。
そのことすらも考えもしないで政府は、日本語の音声言語が約3万語と決めつけ、それとの比較と対比で、手話の語か手話の数かが、不足しているかのように答弁し、当時の手話を切り捨ててしまう。
数の問題であれば、すでに使われている数だけでも約3万に引けを取らない数であることは、組み合わせのことでも言えることなのである。
そのことをおよそ理解していたとは考えられないが、数だけならば、たとえ知っていても既存の手話の数だけでも多いと説明できたはずなのに根拠もなくきわめて少ないと答弁し、それを手話通訳制度化出来ない理由に誘導したのである。
その後の政府の対応 単純で、ストレートで、安価な対策
地方自治体ではすでに認められ、公認化されている手話や手話通訳を政府の中央集権の思惑で、簡単に手話数を増やすことで手話通訳制度化が出来るかのように答弁し、手話通訳制度化を棚上げにし、新たな巻き返しを行ったのである。
数をあげることで、二重、三重、それ以上の思惑と意図があったとしか思えない。
それは、その後の政府の対応を注意深くみることによって非常に単純で、ストレートで、安価な対策を打つ、という結論から答弁いていた政治的目論見が明るみにでてくる。
全日本ろうあ連盟ではなく、関係者等と答える欺瞞
国会の答弁であるにも関わらず政府は政府としての調査もしないで答弁したのである。
その責任を全日本ろうあ連盟に投げかけた。
「全日本ろうあ連盟関係者等の調査による」と答弁し、全日本ろうあ連盟の名前を挙げながら全日本ろうあ連盟ではなく、関係者等と答えているのである。
国会という国政の最高機関の場でこれらの曖昧なことが答弁され、それを既成事実としてことを進行させようとした政府の態度は許されるものではない。
では、政府は全日本ろうあ連盟関係者等とは、誰のことを言っているのであろうか。
当時、全日本ろうあ連盟の役員に聞いても誰のことを言っているのか解らないという回答だった。
ようは、政府の言う全日本ろうあ連盟の関係者等は、存在しなかった。
そればかりか、政府は手話通訳検討を全日本ろうあ連盟に「委託」するという懐柔政策を初めるのはこの頃で、福祉、医療、教育等のあらゆる分野に本来国が行うべき仕事を「委託」「事業援助・補助」などなどの名目で金品を支給し、「国に対する要望・批判」をなくするようにする。
新たなる懐柔政策(新懐柔政策)の幕開けと言ってもいいだろう。