手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話通訳者 を排除した手話通訳制度調査検討委員会 多くの人々の血と汗と涙の行動は

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  手話通訳制度調査検討委員会報告書(1985年5月20日)      の問題点とその後の手話通訳制度に与えた影響 (7)

 

 手話通訳制度調査検討委員会の構成及び検討委員の問題点

 

  手話通訳制度調査検討委員会は、国会で手話通訳の問題が取り上げられ、それを受けた厚生省(当時)が手話通訳の制度を検討するものであった。

 以下、手話通訳制度調査検討委員会の問題点の概要を羅列しておく。

 

   手話通訳者の低賃金・重労働

                  社会的無理解による過重労働の「消去」

 

 第1の問題点は、国会答弁では「手話通訳者の身分保障」を約束しながら、短期間のうちに国会答弁で「手話通訳者」の身分保障を退けてたことはすでに述べた。

 当時、全国に散在する手話通訳者は、低賃金・重労働に加えて社会的無理解による過重労働の中でその身分(安定生活・労働条件保障)は、劣悪で、その条件の改善は切実なものであったがこのことは、手話通訳制度調査検討委員会で次第に曖昧にされ、消されていくことがあげられる。

 このことは、今日の手話通訳保障に深刻な影を落とすすべての要因をつくりだしたとも言える。

 

    政府(厚生省)が、手話通訳の制度を検討しなかった

 

 第2の問題点は、政府(厚生省)が、手話通訳の制度を約束したものの、政府自身による検討がなされなかったことがあげられる。

 

 当初から行政が、行政の責任で手話通訳の制度をすすめるという姿勢は見いだされなかった。

 

   当事者である手話通訳に関わる

               自分たちの問題が主張出来なくされた

 

 第3の問題点は、政府(厚生省)が、手話通訳の制度を約束し1982(昭和57)年に「手話通訳制度調査検討事業」を予算計上しながら、政府が検討するのではなく、全日本ろあ連盟にその「検討」を「委託」(①人に頼んで代りにしてもらうこと。ゆだねまかすこと。あずけたのむこと。依頼すること。②〔法〕法律行為または事実行為などをすることを他人に依頼すること。)したことにある。

 

 手話通訳を「受ける側」のろうあ者団体である全日本ろうあ連盟は、この「委託」を受け、厚生省とともに検討委員の選出を行い、「検討」を行ったのである。

 

 手話通訳者側からすれば、当事者である手話通訳に関わる自分たちの問題が全日本ろうあ連盟に任された形になり、手話通訳者側とろうあ連盟との充分な「対等・平等」関係が出来ていなかった当時の状況から自らの切実な要求を全日本ろうあ連盟に主張出来問題を抱えていた。

 

  手話通訳者が委員として選ばれなかった

                         手話通訳制度調査検討委員会

 

 第4の問題点は、手話通訳制度調査検討委員会の検討委員会は、ろうあ団体関係者5名、関係行政機関3名、言語教育等専門家4名、学識経験者3名の計15名で構成され、手話通訳制度調査検討委員会という名称にもかかわらず手話通訳者が「公式」に委員として選ばれなかったことがあげられる。

 

  手話通訳制度調査検討にもかかわらず手話通訳の第一線で関わっている手話通訳者を除いた委員構成で検討が行われるという極めて不自然で、手話通訳をしている当事者を排除するという民主主義の道理に反する検討委員会が行われたのである。

 

 この歴史的事実は、その後の手話通訳者の身分や社会的評価などなどにさまざまな良くない影響を与えた。

 

  政府の意図ではなく人々の要求を聞くための

                                  アイラブパンフが作られる

 

 そためこれに対する「反論」として、アイラブパンフが作られ、手話通訳者の役割の再評価を国民の側から提起する運動がはじめられる。

 

 手話通訳者の代表が参加していないことについて、当時全日本ろうあ連盟は、伊東雋祐氏(当時全通研委員長)が委員(言語教育等専門家)であるから手話通訳者の意見を代表していると説明したが、伊東氏はろう学校教師であり、聴覚障害教育専門家というなら理解できるが、言語教育等専門家という理解しがたい分野からの選出であった。

 しかも、全通研もしくは手話通訳者という母体からの選出でない点で、伊東氏の態度表明や意見には当初から限界が敷かれていた。

 

  結論が先にあるから

     手話通訳者を排除した手話通訳制度検討がされた

 

 手話通訳者を排除した手話通訳制度検討であったことは、手話通訳の制度を実現する上できわめて不幸なことであり、すでに検討の中味が当初から「確定」されていたと断定しても否定できる人々は居るだろうか。

 

 だが、国・厚生省、それに靡く人々とは別に、手話通訳の真の制度化をねがう人々の真摯な行動は、国・厚生省、それに靡く人々の思惑に楔を打ち込み彼等の思いどうりの「手話通訳制度化」を許さなかった事実を直視しなければならないだろう。

 

 心底、手話通訳の制度化をねがう人々の行動は、どのような上からの圧迫を跳ね返した。

 これは日本の手話通訳史見逃せないこととして銘記しなければならい。

 

 真摯な行動は、どのような思惑、利潤目当ての誤魔化しをも打ち破ってきている。

 

 支配力を持った動きを観るのではなく、無名の多くの人々の血と汗と涙の行動を観ることによって手話通訳制度の真髄が理解出来ると言える。