手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

手話とはろうあ者が日常伝達手段 として用いている 記号の一種 である 1960年代にあらゆる英知を駆使して纏めあげられた基礎概念 

 f:id:sakukorox:20200517103835j:plain

  手話とはろうあ者が

     日常の伝達の手段として用いている記号の一種

 

  かんたんに言えば、手話とはろうあ者が日常の伝達の手段として用いている記号の一種です。

 

 これらの人々は生れたときからか、または非常に幼い時から聴力に障害をもっているため、ふつうの人々と同じように白然に言葉を習得することができず、特殊な教育を受けて、言葉を学んできた人々です。

 

    ろうあ者同志の集団の中から発生させ、発展させた手話

 

 そして、特殊な教育で言葉を学んでも、やはり聴力に障害がありますから、ふつうの人と同じように、らくに言葉を使つて話をすることができず、そのために、手話という独特の記号を、ろうあ者同志の集団の中から発生させ、発展させ、日常の生活の中で会話の補助手段として使っている訳です。

 

  全国のろう学校では

     口話法で教育するようになった?

 

 ろうあ者に対する教育がはじよった時は、手話を使って言葉を教えていました。

 

 ところが今から約四十年ほど前、口話法という新しい教育方法がはじめられ、今では日本全国のろう学校では、この口話法で教育するようになっています。

 

口話法とは

 

 口話法とは、ろうあ者にもやはり発声器官を訓練して発音することを教え、また、唇の形や動きから、言葉を説みとる披術を訓練し、それと併行して言葉を教えていくやり方です。

  

   激烈な理論的、実践的な論争がくり返された
     口話法がよいか、手話法がよいか


 口話法がよいか、手話法がよいか、かって激烈な理論的、実践的な論争がくり返されました。

 

 そして、一応、口話法の時代になった今でも、

 

「手話も必要か、必要でないか」

 

といった形で論争が続いているのが今日の姿です。
 

 こういう論争は非常に狭い導門的な立場から行われたもので、一般の人々にはなかなか理解できないものです。

 

  教育の方法論だといっても
口話法、手話法で一筋なわ、二筋なわだけで律し切れない

 

 もともと一人の人間がこのややこしい世の中で、人間としての権利の享受を全とうして、生きていくという大テーマの内容は想像するだけでも複雑なもので、それを、いくら教育の方法論だといっても、口話法、手話法の一筋なわ、二筋なわだけで律し切れる。


 全責任をもてるという訳ではありません。

  

 今のろうあ者は

 決して手話だけで話をしているのではない

 

 語学の教育でも、一ダースぐらいの方法論があります。

 

 そして、ここではっきりと確認していただきたい事実は、今のろうあ者は決して手話だけで話をしているのではないということです。

 

 ろうあ者といっても今では、言葉の教育を受けています。

 

 そして、はっきりとした発語として表現するにせよ、表にあらわれない内言語として使用するにせよ、完全・不完全の程度の差はあっても言葉で話をしている訳です。

 

 ただ、それをお互いに伝達する手段として、口話や手話や指話をいろいろまぜ合わせて使っている訳です。

  

手話を学ぶグループの中で学習し

 ろうあ者の人々と交際し

  ろうあ者が持っているいろいろな喜びや

    悲しみや社会問題にじかにふれた

   生なましい実感の中から学んで

 

 こう書いてきますと、書いている本人にはよくわかっているつもりでも、はじめて手話を学ぼうとされる方々には、なんだかわけのわからないようなことを書いてしまったようです。

 

 しかし、これ以上のことは、白い紙に黒い文字でかいた知識としてではなく、実際に手話を学ぶグループの中で学習し、さらにろうあ者の人々と交際し、ろうあ者が持っているいろいろな喜びや悲しみや社会問題に、じかにふれた生なましい実感の中から学んでいっていただきたいものと思います。

  

  「手話」という言葉に
    ずっしりとした実感を感じることができるようになって

 

 勿論、手話にも、もっと高度な社会的、歴史的、理論的研究の分野もあります。

 

 しかし、これは以上のようにして、「手話」という言葉に、あるていど、ずっしりとした実感を感じることができるようになっていただいた後の問題です。

 

 このパンフレットもそのつもりで、きわめて初歩的、現象的なあみ方をしました。

 

 その方が実際の目的にかなうと考えたからです。

 

    京都の手話の手引きのため

  1960年代検討された手話に対する考えより

 

 手話の基礎概念をあらゆる英知を駆使して纏めあげた

 

 手話とは⇔ろうあ者が日常の伝達の手段として用いている記号の一種です。

 

 と簡素にまとめられているが、この一文に籠められた意味合いは計り知れない基礎的研究の積み上げがあると考えるべきだろう。

 1950年代からろうあ者の人々の声と英知を結集し、それを裏付ける科学的で基礎的研究を基本的ろうあ者の人々がまとめあげた概念として未来永劫伝承される価値がある。

 

 手話の社会的認知を切々と想い、感じながらも、感覚レベル感情レベルで手話を考えるのではなく、事実を直視して根拠を持って「手話とは」が提起されたものである。

 

 特に、手話を全面肯定するのでもなく全面否定するのでもなく、根拠ある研究実践から「ろうあ者が日常の伝達の手段として用いている記号の一種」の「記号の一種」に直視しなければならないだろう。

 

 ここには手話を軽々に論じてはいけないという誡めがある。

 60余年の月日が過ぎても、このことを理解する人々は多いと言えない。

 

 手話の基礎概念に基づいて、

 

手話という独特の記号を、ろうあ者同志の集団の中から発生させ、発展させ、日常の生活の中で会話の補助手段として使っている

 

はっきりとした発語として表現するにせよ、表にあらわれない内言語として使用するにせよ、完全・不完全の程度の差はあっても言葉で話をしている

 ただ、それをお互いに伝達する手段として、口話や手話や指話をいろいろまぜ合わせて使っている

 

などの事実を明示し、

 

 手話にも、もっと高度な社会的、歴史的、理論的研究の分野もあります。」「しかし‥‥『手話』という言葉に、あるていど、ずっしりとした実感を感じることができるようになっていただいた後の問題です。」

と手話学習の大前提を提起。

 

 この意味深い「手話とは」という概念を理解する事は一長一短に出来るものでないことは言うまでもない。

 大切な事は、「手話とは」という概念を念頭において、その概念に絶えず迫ることだろう。

 

 手話とは、ろうあ者が日常の伝達の手段として用いている記号の一種です。