最近の手話通訳事情からの再検証を考える
手話通訳を初めてまだ2年弱なのに電話通訳を頼まれる
事例 7-2
ある若い女性の手話通訳者の悩みが出された。
「私は手話通訳を初めてまだ2年弱。なのに電話通訳を頼まれる。通常の電話は、首と肩で挟んで手話通訳できるが、携帯電話はそれが出来ない。先輩のみなさんはどのようにされておられますか。」(注 スマートフォンだけではなく、音声を切り替えて携帯電話手ぶらで聞いて手話通訳することは、他のひとに聞かれるのでいけないことだと考えている。)
という話だった。
この場合、手話がうまい、手話通訳がうまいからろうあ者が手話通訳を依頼してくると思い込んでいるが、大切なことは、手話通訳者に対する信頼、安心、親身感をろうあ者が持っているかどうか、である。
手話の技巧と信頼感とは別の領域
手話が「下手」かもしれないけれど、信頼、安心、親身感を持っているから手話通訳を依頼されていることを忘れてはならないのである。
手話の技巧と信頼感とは別の領域である。
そのことが理解されていないこともある。
電話による手話通訳は電話口ではなす人のトーンや抑揚で話の意味はまったく違ってくる
さらに、電話による手話通訳は意外に難しい。
相手の顔が見えない。相手の表情がわからない。
声のトーンからくる意味。
「またかいな、しかたないわ、ほな大事にしてや」
などは、話し方のトーンや抑揚で話の意味はまったく違ってくる。抑揚が上がるのか、下がるのか、など。
事前の充分な打ち合わせがないと話が混乱したり、意思疎通がとれなくなったりする。
手話通訳がうまい、下手と考える前に、このようなことを考えておかなければならないのである。
ただ手話をすればいいとはならないだろう、見ていてなんとなくいいから、手話が上手とはならないだろう。
何年経てば手話通訳が上手と言えるのだろうか
手話が上手であるか、上手いかどうか、よく手話を学んでいる人は言う。
手話を習い始めて○年だからまだまだ、「下手」ですなどなど。
では、何年経てば「上手」と言えるのだろうか。
昔々、京都のあるろう学校の先生が、
「電話で手話通訳するときに、アホ、馬鹿、最低などと言うようにろうの先生に言われることがしばしばある。」
「アホ、馬鹿、最低など………などとなぜ言わないのかとろうの先生に詰め寄られるが、電話口にいる人には、私の声しか伝わらないのだから私がアホ、馬鹿、最低などと言っているようにとられて困る。」
と言っていたことがある。
この時、
「その先生は音声言語で話せるのだから電話口に出て、アホ、馬鹿、最低………など言ったらいいのに。」
と問題点を呈示した。
手話通訳は
何でもかんでも手話通訳しないといけないのか
手話通訳は、何でもかんでも手話通訳しないといけないと思う傾向がある。
困っていたろう学校の手話通訳をしていた先生は、手話通訳をはじめて数十年の「ベテラン」と言われていた先生であり、手話通訳を頼んだのは、日本ろうあ連盟の役員を長く務めていた先生であった。
手話通訳の「上手」な先生が、その場面に応じた対応が出来ているとは言えないように思える。
手話通訳が「上手」と、簡単に言うがそういう人に限って「上手」の基準はない。
手話がうまい、手話通訳がうまいからろうあ者が手話通訳を依頼してくると思い込みはやめて、手話通訳者に対する信頼、安心、親身感をろうあ者が持っているから手話通訳を依頼してくると考えてみたらどうなるのか。
手話の技巧と信頼感とは別の領域、を理解出来ない人が多い。
信頼があってこそ手話通訳が成り立つことを理解している人は少ない。
資格や経験や評判などなどのみで手話通訳を評価する傾向が主流であってはならない。