1966(昭和41)年厚生省社会局(当時)から京都の手話サークルみみづく会に公式な照会状が送付されてきた。
その厚生省の照会状への回答として、
京都の手話サークルみみづく会は、
「手話通訳者はろうあ者の指導者ではないが、ともするとろうあ者の代理者として考えられる点、ろうあ者の主体性確保を危うくする結果が多々あるので注意を要する。
また手話奉仕活動を行う場合、ろうあ者個々人との結びつきは奉仕者の性格・能力の差が大きく、ろうあ者に対する指導的役割を果たすことではなく、協力的態勢云々。
また相談内容についても、ろうあ者の場合、意思伝達上に起こる諸問題がある。
対人関係、身の上相談、一般行政への諸届け出及び手続き方法などの助言が多い点も考慮すべきだ。」
と回答している。
一律的・機械的処理出来ない諸問題を
熟慮していかなければならない
手話通訳の位置づけとろうあ者の主体性を明確にしつつも、一律的・機械的処理出来ない諸問題を熟慮していかなければならないことや現実的サポートも必要であることも明らかにしている。
京都の手話サークルみみづく会の厚生省への回答から50年。
手話通訳の内容はさらに熟慮されているか。
機械的に責任が割り振りされていないか。
手話通訳が人間的なあたたかい血が通ったものになっているか。
などなど大いに検証されなければならない。
国民のコミュニケーションの自由について
規定する独立した法律が必要
日本国憲法に規定する基本的人権をすべての国民に保障するには、障害者を対象とする身体障害者福祉法や障害者自立支援法によるのではなく、国民のコミュニケーションの自由について規定する独立した法律が必要となってきた。
法律の対象として身体障害者を掲げたのは、1950(昭和25)年に施行された身体障害者福祉法である。
身体障害者福祉司の配置規定をもとに、聴覚障害者の運動は手話のできる福祉司、ろうあ者相談員、手話通訳者の配置という要望活動を展開してきた。
1970年手話奉仕員養成事業の問題点から今日まで国策としての遅れがその矛盾を福祉法に閉じ込めてきた
1970(昭和45)年に手話奉仕員養成事業が創設されたが、これが日本における手話通訳事業のはじまりである。
その後、
1973(昭和48)年には手話通訳設置事業。
1976(昭和51)年には手話奉仕員派遣事業。
1989(平成元)年には手話通訳士資格認定事業。
2000(平成12)年には社会福祉法に手話通訳事業。
2006(平成18)年には障害者自立支援法にコミュニケーション支援事業。
が位置づけられて来る。
これらはすべて障害者の福祉施策としての位置づけである。
しかし、障害者の生活全般が福祉法で網羅されるはずがない。
聴覚障害者の社会的支援に係る施策を障害者福祉法に求めてきた向きは否めない。
これは要求する側だけではなく、国策としての遅れがその矛盾を福祉法に閉じ込めてきたといってもいいのではないだろうか。
雇用に関しては、障害者の雇用に関する法律で施策が図られている。
福祉も雇用にも共通するコミュニケーション支援はそれぞれの法律に規定されている。公職選挙法における政見放送の手話通訳保障もしかりである。