日本手話をJapanese Sign Language:JSL」と英語は
「 日本の手話」とも言えるのに否定する理由は
手話学入門として神谷昌明は、「日本手話」って何でしょうか?という問題を投げかけている。
そして、
「日本手話」は「日本の手話」と言う意味ではなく、「日本語対応手話」とは本質的に異なる、ろう者独自の手話を意味します。これを「日本手話」と呼びます。
英語で日本手話をJapanese Sign Language:JSLと言います。この呼び方はアメリカの手話研究の影響を強く受けています。
と述べているが、では、ろう者独自の手話の言語学的解明は以下の部分でも解説できていず、異質性を強調するのが特徴と言える。
「日本手話」は「日本の手話」と言う意味ではなく、と述べているのにもかかわらず「日本手話をJapanese Sign Language:JSL」と英語表記しているが、この場合、JapanではなくJapaneseとしている以上は「日本の手話」とも言える。
アメリカの手話研究の 「直輸入」とするが
だが、このような違いを強調するために神谷昌明は、この呼び方はアメリカの手話研究の影響を強く受けています、と述べアメリカ(アメリカ全土とは言えないが)の手話研究の導入であることを認めている。
その理由として、
「日本における手話へのアプローチは、福祉、ボランティア、障害者運動に連動するものが多く、純粋に言語学からの研究はあまりありませんでした。ろう者手話の言語学的研究は欧米に比べて30年以上も遅れています。」
と断じているが、それは、神谷昌明氏自身の研究不足ではないだろうか。
特に、日本の手話についての100年以上にわたる研究をした上での前提とはとても考えられない。
欧米こそが手話研究が遅れていたにもかかわらず
日本の遅れを強調
日本の言語学からの研究はあまりありませんでした、と断定する根拠はどこにあるのかすらも明らかにされていない。
少し調べてみても明治以降の日本の手話の文献は数多く存在し、そこには神谷昌明氏の言語学でない、言語学追及がなされている。
欧米が30年以上も遅れているのであってその原因を解明しないで、欧米から見て「過去から今日までの手話研究」を全面否定しているとも言える。
もちろん、日本の手話研究や言語解析には膨大な記録を含めた基礎資料を必要とする。ここで、欧米の少なくない国は、それに国費など豊富な財源を投入し研究を進めたている。
欧米よりもはるかに優れた手話研究がすすんだはずだが
日本政府は手話を否定し新しい手話をつくらせた
少なくとも日本政府は、1981(昭和56)年3月19日の第94回国会衆議院社会労働委員会で、ろうあ者のコミュニケーションの手話の数が質問された時に、
「手話の数は、日本聾唖連盟等関係者の調査によりまして、約2700語というふうに理解をしております。」
と答え、健常者が使用している用語というのは通常3万語程度といわれている。これに比べると手話の数はきわめて少ない。この手話の数をもっとふやして差し上げなければならない、とした。
この時、スエーデンの教育省などが国として責任を持ってとの当時ろうあ者がコミュニケーションとしていた手話に関する調査研究と記録を行っていれば欧米よりもはるかに優れた手話研究がすすんだはずである。
だが、当時の厚生省の意図は別の処にあった。(詳しくはこのブログを遡って見ください。)
にもかかわらず、ろうあ者の人々の手話を認めて欲しいというねがいは、手話研究や言語としての手話は、民間研究として現在でも保存されている。
日本の手話研究を見ていない
アメリカの手話研究の導入を機械的に推し進めた神谷昌明氏は、日本の手話研究を見ていないと言える。
さらに神谷昌明氏は、古代ギリシャアで手話の概念が論じられチェいたにもかかわらず、それが欧米で発展させられなかった大きな要因に宗教があったことすらも研究されていないとも考えられる。