(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)を再録・編集して公表してほしいとの要望に応えて。
原爆 爆発を見て 惨状を歩いた
1945年 8月9日の忘れようとしても忘れられない日のことを「原爆を見た聞こえない人々」の本の中で菊池さんは、鮮やかに私たちに再現してくれる。
馬町の家を出て園田鉄工所までの時間。
そして原爆が投下された瞬間。
それからのわずかばかりのもっとも長い時間。
夕刻 まさに爆心地を歩いて通りすぎた赤く空気もかげろうのようにゆれる空間。
リアルな描写。
この一日の3つの時間帯を長崎の人々が一瞬でいのちをうち砕いた原爆投下。
被爆を菊池さんは、ろうあ者の目で見続ける。その情景を長期にわたって脳裏に焼き付けていた。
そのみた情景を彼は手話表現で数十年も経過して私たちに再現してくれた。
自分の立場で見た情景ではなく
「情景そのもの」を
手話表現 親切で情感的
それも、自分が「見た情景」を「見たまま手話表現」されたのではなかった。
自分が見た立場から手話表現されたのではなかった。
長崎の多くのろうあ者の人々は、実に親切で情感的。
手話を見る人々に「自分の立場で見た情景」ではなく「情景そのもの」を手話表現されるからである。
相手に、自分が見た情景を、そのまま再現する。
その至難の手話(技)絶望の淵から放つ。
髪は抜け、皮膚が赤々とただれた人。
助けを求めた姿で焼けこげた人。
目が飛び出した人。
人々を、菊池さんがどのように見たか、を手話で表現するのではない。見た人そのものの姿を、手話で表現される。
手話。手話は単なる伝達手段ではなく、現実の姿を再現する「情景映像」として、立ち現れてくる。
その瞬間。私たちには
最もヒューマンな眼差しが訪れる
この手話が、「読みとれる」ことのできる人には、言葉にならない「情景」だけが頭に残る。
長崎のろうあ者の「手話の達人」は、心の底から全身を使って、原爆投下直後の長崎を、その場にいない人々に共鳴し、被爆し、さまよい続けているかのような世界に導いてくれる。