(特別寄稿) 再録・編集 原爆を見た聞こえない人々から学ぶ
佐瀬駿介 全国手話通訳問題研究会長崎支部の機関紙に52回に連載させていただいた「原爆を見た聞こえない人々」(文理閣 075-351-7553)はぜひ読んでほしい!!との願いを籠めて、再録・編集の要望に応えて
私は先輩の手話通訳者を含めた手話サークルみみずく会通訳団会議のいくつかの事例を思い出した。
いくつかの絵を描いて彼との糸口を探り出そうとした。
絵を描いて糸口を探り出すと
未就学のろうあ者が、廃品を入れていたぼろぼろの乳母車を予想して描く。
それを示して、彼がどんな動作をしていたのかを再現するように試みた。
乳母車押す。
地上に物がある。
拾い上げて入れる。
乳母車押す。
地上にある物を拾い上げて入れる。
家。
入らない。
道。
乳母車押す。
の繰り返しであった。
手を振った 顔の表情も少し険しくなった
そこで盗んだとされる自転車を描いてみた。
彼は、物が大きいので身振りを大きくして、拾い上げる(担ぎ上げる)乳母車に入れるの動作をして、押す動作をした。
乳母車を押すのも大変だったろうな、と思えた。
今度は、家に自転車が止めてある絵を描いて、乳母車に入れると動作を私がしてみた。
と、彼は手を振った。顔の表情も少し険しくなった。
これらのことをくり返したしかめても同じ結果が返ってきた。
盗んだのではなく
落ちていた物をいつものように
盗んだのではなく落ちていた物をいつものように乳母車に入れただけだということは取調官の目にも明らかになった。
でも取調官の指を曲げて鍵の形をする「盗む」という動作には今後が心配で仕方がなかった。
今度は、手話通訳を呼ばない可能性があったからである。
盗む、と、拾う、の決定な違い。
取調官の作成した調書を未就学のろうあ者に伝えるのは、大変であった。
絵を描き、指さして、身振り、表情を読む、伝えることの往復。
調書に本人のサイン(名前が書けないので印)と手話通訳者としての私の名前と拇印。
むなしさは消しようがなかった。
この後のことは省略する。
ほんの一例を挙げたが、聞こえない人とのコミュニケーションには、筆談や絵はコミュニケーションを深めるため重要なことであることを骨身にしみてわかっていた私は、被爆体験を聞くときろうあ者の人々に絵を描いてもらって話を!とあえて提案した。
ところが長崎から送られてきた絵は、私の想像を遙かに超えたすばらしいもので仰天してしまった。
描かれた絵に籠められたメッセージは、まだ私の学習不足で充分読み切れていない。