写真 道ーろうあ者運動を支えた人々(著者豆塚猛 発行全日本ろうあ連盟)より
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
1954年1月から7月にかけて京都で手話研究会(7人の人々が中心 ろうあ者5人 健聴者2人)が開かれ、記録・研究した冊子が出されている。このメンバーだった明石欣造さんから1960年末にこの冊子を更に充実させて欲しいとの願いを籠めて手渡された。明石欣造氏から直接に書かれた手話を伝授された立場から、手話の今日的解明研究のための一考察と冊子に書かれていることを紹介したい。
ただし、この冊子は、古く不鮮明になった文字や旧漢字。当時の印刷ーガリ版刷りーのため独特の省略文字が使われているが、一部再現しつつ断りを入れて文章を再現したが、誤解を避けるためにこの冊子の全文を手話の今日的解明研究のための一考察の後に公開したい。現存する画像等を掲載し後世に伝達したい。
同時に手話を知らない人も手話を学んでいる人も聞こえない、聞こえにくいと条件の中で揚棄したろうあ者の熱き熱意と知恵と創造を知っていただくためにこれほどうれしいことはない。
人生の苦しみと共にろうあ運動を
すすめてきた数万の人々の思いとねがい
道ーろうあ者運動を支えた人々(著者豆塚猛 発行全日本ろうあ連盟)の本を初めて豆塚猛から手渡された。
本に描かれ登場する36人のろうあ者運動の担い手たち。人生の苦しみと共にろうあ運動をすすめてきた数万の人々の思いとねがいはずっしりと私に伝わってくる。
私は、36人のろうあ者の人々だけではなく数万のろうあ者の人々と直接はなしを交わし手を携えて行動した。
もう数十年の前のことになる。みんなは若かった。
極貧生活だがたぎる情熱で基本的人権を守り保障を要求する。
血潮は静かな波紋を次々と拡げ大きなうねりを形成した。
聞こえない人々の問題として。数十年の時を経て本の顔に魅入ってしまう。
カメラマン豆塚氏は、ある人の人生を一瞬で凝縮して写真に撮りこむ。その冴え渡った技量は賞賛しすぎることはない。
ろうあ者運動を団結させた
「集団コミュニケーションの旗印」
である手話が
消し去ろうとされている
生まれ育つ中での屈辱、哀しみ、叫ぶことすら許されない時代の到来。みんなで手を携えて喜びあふる運動をすすめた。
人々への全幅の信頼の「誕生」。
憎しみ続られ、憎しみ続けた人々との和合と分かちがたい団結。
そして、はたし得なかったねがいを次世代に伝えようとする想い。
すべての顔が語りかけてくる。
撮られている人々をよく知っているから述べるのではない。
本を手にされた方々が、哀しみ、人生に疲れ切ったり、嬉しくて空を舞いたくなるときなどにもう一度写真を見れば、最初観たその人の表情に別の表情と意味を汲み取ることが出来はずである。
ろうあ者問題と言えばばすぐ、聞こえない人だから手話や手話通訳、差別や無理解があると頭から決めつけて語る人々が増えている。
手話を学ぶ人々の中ではこの手話が正しい、とかこうすべきだ、手話を知らないことがろうあ者を理解していないことだ、と言う人も多い。
そのためか手話が、ろうあ者運動を団結させた従来の「集団コミュニケーションの旗印」であったことが消し去ろうとされている。
全国に散在していたろうあ者が集い、違いを乗り越え団結し、創造し得た「コミュニケーション手段」が手話である。
国や行政や上からの規格化、統制された手話では決してなかった。
ろうあ者の英知が結実したのが手話なのである。
手話は数十人、数百人、数万人、数億人の人々との対話と会話を可能にした。
揉まれて独りよがりで自分たちだけ利権を主張するなどのことを集団討論と集団行動で駆逐されてきた日本のろうあ者運動は、国際的に高く評価される誇るべき歴史を持っている。
今、肝心なことが見失われそうな時期でもある。が、ろうあ者の人々が、基本的人権蹂躙の苦しみの中で民主主義を渇望し、民主主義運動に身を投じ広範な人々と手を携えてきたことの歴史を見据えなければならないだろう。