手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
手話も時代を映す「鏡」であると言える。
そのため、以降、現在、ほとんど使われなくなった用語の手話なども掲載してゆきたい。
主婦は、右手で屋根=家を表し、左手の女を下から上にして、家の中心人物であり「長」でもあるという表現である。
家のすべての中心で、家全体をおさえている表現が、手話の主婦。
ここには、主婦がどれだけ家族にとって大切な役割をしているのかが、見てとれる。
これに対して、家族は、一つ屋根(家)の元に暮らす人々で表現されている。
右の写真でも解るように、人差し指と中指と、薬指を曲げて男女を婉曲に曲げてひろげる=人々と手話表現している。
このことは、男女の人々という意味もあり、人々・民衆・みなさんなどに「多様」されるが、屋根=家 を形作ってそのイメージを残しつつ、その屋根の片方を右手で「残し」たまま、人々を表現することによって「家の人々=家族」としている。
ここには、戦前の家長・戸主などの手話をしないで戦後の家族制度を表現している。
芸者。
現在の京都では観光やポスターで現されている「芸者」の表現ではない。
三味線を弾く様子を現し、芸事に励む女性を尊敬の念で表現している。
もちろん舞妓の手話もある。
京都では、芸者を好ましからぬ女性とする傾向がある中で、このような手話をするのにはわけがあると明石欣造さんは語っていた。
芸者のつらい心情とろうあ者の心情が、なぜか通じ合っていて、ろうあ者に対して芸者さんはあたたかく接してくれたという。
また芸者独特のお座敷での芸者同士の合図。例えば、「いけすかん人」「そろそろ引き上げましょう」「いややわあ!!」などのこともろうあ者の人々は、よく知っていた。
お客だから大事にせんならんけれど、芸者さんも人間。言いたいこともあるが、それを言えない辛さ。
襟のある部分をつまむと‥‥‥などの合図は、お客さんには解らないが芸者同士で通じるコミュニケーション。
手話との共感があったようである。