手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
博士。
四本指で手のひらに降ろす。
博⇒扌 手偏と尃の組合せのようにも思えるのだが、四本指で親指は折り曲げたママなので 戦前のろう学校のイロハニホヘトの「ハ」からきているのか、もしくは博士になるためには4っの教育課程を終えなければならないところからきているのかは定かでない。
この手話は、戦前に形成されたことは間違いがないので帝国大学終了して、博士になることを意味していたようにも思える。
足不自由・足が不自由。
両足を指さして、左右の足が互い違いにそろって歩けない様子を表現している。
歩くは、中指と人差し指で歩く様子を表現するが、ここではそれが困難であることを示している。
すでにお気づきのことと思うが、手話が撮影時のカメラアングルを飛び出していることが解る。
1950年代前の手話での会話はじつにおおらかで、大きく表現された。それは、お互いのコミュニケーションを進めるうえで、解りやすく、手話の範囲を大きくとることによって微妙な心情を伝えようとしたからである。
戦前、戦中、戦後を生き抜いてきたろうあ者の手話は、大きく伸び伸びとしていた。
それは、圧迫された時代に立ち向かい自分たちの人間としての権利を守り抜いてきた証明でもある。
現在のように、肩から腰までも届かない範囲の手話を見たらきっと「せせこましくて」「なんの話(手話)かわからない」と言われることだけは間違いがない。
工員。労働者。
工場の労働者。
左右で拳をつくってそれを打ち付ける=労働 する人
労働とは、物をつくり出すという意味で鋼をつくるために鉄を打ち続けて鍛え上げ、新たな物を造ることを一動作で示して、人。
労働者と手話表現する。
この手話の工員・労働者は一人だが、労働者全体を意味する場合は、「人」を「人々」で表す。
生産労働を見事に表現した手話である。