手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
(3)事物の内容から抽象して成立した手話
の項目の説明はさまざまな意味に理解されるが、京都で1954年に「手話」として記録された冊子以降の京都の状況を思考すると1960年代や1970年代になって手話の飛躍的発達の基礎的思考が記載されていると考える。
社会生活の拡がりの中で
手話はろうあ者同士で創造
過去の記録をたぐり寄せて
1,手話の「抽象的な表現形態」をとらず「その意味や内容も具体的であり思考活動も単純だ」「少しずつにでも自ら目覚めなければならないことに気がついている」とする傾向を社会生活の拡がりの中で膨大な言葉を採り入れ、手話をろうあ者同士で創造して行く。
その過程を目の辺りにしながらそれを映像として記録できなかったことが残念でならない。
現在ならないとも簡単にできる映像保存。その再現を試みて記録保存する時代を迎えている。
このことが出来ないと未来永劫、ろうあ者集団の作り上げてきた手話は勝手な解釈と断定で拡がる。
ろうあ者集団の作り上げてきた手話は、過去の記録をたぐり寄せて現在と未来へ伝達していかなければ、ろうあ者集団の作り上げてきた手話に籠められた知恵はもちろんあらゆる歴史が封じ込められる。
音声言語を採り入れながらも
ろうあ者集団のコミュニケーション
としての必要生を説く
2,僕らは彼等が「口話法」による音声言語的思考の仕方を持ち得るようになることを、ろうあ教育の基盤として考えているのであって、「手話」は然し、一般の言語力をもった可聴者が、音声記号によらず、手話記号でもって、コミュニケーションにケーションを行うな状態を、その理想と考えるのである。
という文章も口話法を単純に切り離して否定するのではなく「音声言語的思考の仕方を持ち得るようになることを、ろうあ教育の基盤」としながらも「悲しいことに「口話法」には「口話法」の限界があり」として手話の必要性を説いている。
音声言語を採り入れながらもろうあ者集団のコミュニケーションとしての必要を説いている事項に思慮がもとめられる。
可聴者が音声記号によらず
手話記号でもっての意味
この文章の「可聴者が、音声記号によらず、手話記号でもって、コミュニケーションにケーションを行うな状態を、その理想と考える」という意味は、可聴者が「手話を学び」「手話でろうあ者と会話が出来るようになることをもとめ」、手話通訳者あ育つことを期待している。
この1954年頃の京都には、手話通訳できる人が5人はいた。
教育がろうあ者に保障されていない
日本の国のありように
3,そしてその上で「この貧しい日本の国に、自分だけのために最善の環境の用意が許されるろう者が、果たして何人ありとするなするのだろうか。僕らは、ろうあ教育の理想を抱くのと同様に、この現実をも無視してはならないならないのだ。」
とろうあ教育がろうあ者に保障されていない日本の国のありように目を向けている。
だがしかし、それを嘆くのではなく「そういうコミュニケーションにケーションの間隙(注 かんげき)を補い、シンボル活動の手段としての「手話」を、研究していなければならないのが、残念ながら今に生かし得る僕らの仕事でもあるわけだ。」と決意をしている。
手話研究と手話、手話通訳者の養成は、蔑視こそ多くある時代にそれに手向かい粘り強い取り組みと運動がなされる「手話宣言」と受けとめるべきだろ。