手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
「1954年手話冊子」第2章(2)-3 手話の成立 Ⅱ
漢字を取り込んだ手話は数多い
(4)漢字から成立した手話
首相(首をおさえて、長い)長い川(指三本を上下)田(指三本を田の字に組む)井戸(指二本を井の字に組む)などがある。
このように単純に漢字の形態だけから、又その意味から、成立している手話も多い。
漢字は象形、表意文字であるところから視覚に結びつきやすく、いきよい「手話」にも結びつきやすい。
彼等は、一寸その内容が分からなければすぐ「漢字を書いてくれ」という。
面白いのは漢字については知っていても、その読み方については至極あいまいだ。
戦前の盲唖院やろう学校では、すべてカタカナから漢字での教育がなされた。
この中から生まれた手話は非常に多いが、現在文部科学省がいわゆる「常用漢字」として、学習指導要領の改訂ごとに変化させているので漢字を受けとめた取捨選択した手話を理解できないようにさせられている。
すでに述べたように京都の手話では、聞くと聴くは区別されて使われていた。
さらに例をあげると京都では、「一生懸命」「脇見をしないで集中する」などの手話は、手のひらを両眼の横に置いて前に突き出す、という表現だった。
この手話については、戦前のろう教育を受けた方々から馬具に由来していると言われて調べたことがあった。
結果、遮眼帯であることが解った。馬を走らせる時に他の馬や状況に左右されないために「全能力を走ることだけ、前の方しか見えないよう作られた装具のこと」を表していることに由来していることが理解できた。
手話は、ろう学校の先生が教えたのか、生徒たちが創り上げたのか定かでないが、馬具から取り入れた手話、ということは正しかった記憶がある。
(4)漢字から成立した手話 の「漢字については知っていても、その読み方については至極あいまいだ」という文章は、後の文章でも述べられているが漢字の表意を巧みに取り入れた手話に多くの知恵の結晶をみる。