手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
やかん。
急須・お茶
やかんというよりこの場合は、急須という手話として表現されているように思える。というのは、最後に上にあげて急須のそそぎ口と取っ手を暗示しているからである。急須と言っても知らない人が多いが、ぜひ、急須を手に取ってこの味わい深い手話を学んで欲しい。
ともかくお茶を飲む意味で、転じてお茶という意味も含まれた。生活に根ざした手話は、じつに多様である。それぞれの地域の特徴も踏まえて知っていただくと手話の奥深い表現を知る事が出来る。
これこそ、本当の上級者の到達点であるが、表現は無限にありすべてを知り尽くす事は出来ない。だからこそ手話はコミュニケーションの手段としてろう者の中で生きづいてきた。
1960年代になってベトナム戦争が激しさを増し、京都ではベトナムの指文字「へ」とお茶を掛け合わせて、写真中間の手話を横に動かすか、振ることでベトナムと手話で表した。
社会情勢を機敏にとりいれた知恵に驚かされる。
ボタン。
この場合は、学生服のボタンであろうか、上から下へと丸いボタンが並ぶ様子を表している。
ろうそく。
握り拳をロウに見立ててそこから燃えあがる炎を現している。
電気やランプのなかった時代から先人によって伝えられてきた手話であることが解る。
織物。
織り。織る。
縦糸と横糸の組合せで織物を表現している。
多くのろうあ者が、この織物の仕事に携わってきた。
機械化されて、機の音の騒音がろうあ者には聞こえないから「適切な職業」だとされたり、言われたりしてきた。
しかし、織物に携わる人々の低賃金で過酷な労働。特に納期に間に合わせるために睡眠どころでなかった悲惨な労働は、語り継がれて言って欲しいと思う。
地場産業と言われた西陣、丹後の織物に多くのろうあ者が携わっていた。