手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
ラジオ。
ラジオ受信機
聞きたいがために憧れるラジオ。
ラッパ状のスピーカーから流れる音声を聞こえる人に必死に聞いたと言うろうあ者に何度もあった。
その後、ラジオは、小さなダイヤル( 回転式目盛調節器)を回す手話に代わっていく。
1945年(昭和20年)8月15日正午の玉音放送(ぎょくおんほうそう)は、大変なことが放送されていると解っていても、聞こえる人に聞いても「なにを言っているのかさっぱり解らない」「戦争やめる」「日本が戦争に負けたと言っているのでは」などの話は、ろうあ者から繰り返し聞かされた。
その話を知って喜んだろうあ者のほうがはるかに多かったという。
このラジオ、レコード、の手話は、その時代、時代の物を映し出すというか、切り取っているのでろうあ者が生きた時代がよく解る。
京都では、日本最初の電気鉄道として開業され歴史から、電車、路面電車、市電の手話は、明治、大正、昭和を生きたろうあ者の生活を反映している。
その手話を見ただけで、ろうあ者の育った時代が解ったが、今は市電もない。
レコード。
蓄音器
これもろうあ者が聴きたい機械だった。戦前の聾唖学校には生徒に聞かせる聴覚器機があったらしいが、円盤状のレコード盤がくるくる回り、針が上下しながら回転していく様子はろうあ者の興味を強く引いた。
人差し指は針。
手のひらは、レコード盤。
レコード盤が回るのではなく、針を円状に回してレコードの手話としている。
音を聞く犬、ビクターレコードのシンボルと対比して音が表現されていない手話。
染め物。
染める
布を持って染める重労働。染めの仕事は一度ではなく多くの工程があり、さまざまな小規模作業所でろうあ者が働いていた。
この手話の場合は、布を下から上に引き上げて染める、としている。いろいろな「染め」の手話はある。
京都の着物の美しさを褒め称える人の話を聞くたびにろうあ者の姿を思い出す。
友禅流しを鴨川で、とは遠い昔の話になってしまった。