手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
次の写真を手話の語彙だけで羅列すると
新聞(最初の写真は京都などでの手話) 二つ ある(存在)一つ 東京(東) 広がった (かなり)昔 (人を) 呼び集め 左手に持ち(紙・新聞紙) 頭 布(和手拭い)置いて 左手に持った(紙・新聞紙) を 指さして これこれ (と言う・買って、と言う) (これが) 切っ掛け(はじまり) ここから(から) だから(関係)正しい わからない 左手に持ち(紙・新聞紙) 頭 布(和手拭い)置いて
となる。
手話通訳すると、
新聞という手話には二つある。東京を中心に広がった(新聞という手話で)昔々人を呼び寄せて、これこれしかじかと新聞を指さして新聞が売られていた。この動きを手話で「新聞」という手話になったが、どちらが正しいか分からない。新聞、新聞‥‥‥
と通訳できるが、最後の部分で最初の京都などの新聞の手話ではなく、東京を中心に広がった新聞の手話の方向を見て新聞を繰り返していることを読み解けば、
どちらが正しいか分からない、東京を中心に新聞、新聞って手話しているけれどもねぇ‥‥‥
とも手話通訳する必要があるのではないだろうか。
この新聞の手話を新聞配達する動作を示しているとする意見があるが明治時代にはじまった新聞は、まだ店頭販売ではなく街頭販売だった。
明石欣造さんが、東京を中心に広まったと説明する「新聞の手話」は、江戸時代の「瓦版売り」を彷彿とさせるものでそれは明治時代にも継承される。
京都の「新聞の手話」は、右手の平を水平にして紙・新聞を表し、左手をぱっと広げている手話(広がる、知らせるなどなど)から、新聞が情報を広めるものという意味で示されていて、今では想像できない時代の新聞の広め方や販売方法である。
明治時代頃の社会の動きを見事に捉える手話として大切にしたい。
私は、手話通訳は、ろうあ者と日常的にに接してその人と心打ち解け合うことが出来る人でないと、そのろうあ者の手話で言いたい機微に触れることは困難である場合があることを想定しなければならないと思い続けてきた。
手話が「どちらが正しいか分からない」といいながら 明石欣造さんの表情は、京都などの新聞のほうがいいぞ、と読み取れる。読み取らなければならないと言える。
写真の下線部分の文字は、伊東雋祐氏が書いているが、必ずしも適切ではなく伊東雋祐氏も「おまえに任すわ。ようわからんようにになってきた」と吐露し始めた頃の写真である。
この連続写真は、 一コマ一コマをカメラマンの豆塚猛氏と確認しながら手話や手話表現の深層を確認したもので、125分の1秒の瞬間の写真の連続撮影である。
その一瞬とも言えない程の短い瞬間に籠められた想いや表現。
手話には、多義多彩な意味合いが無限に織り込まれている。