手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
道徳。
両手の拳を裏返して、トントンと二度ほど拳を合わせる手話で道徳。
この手話は、関東などとも共通しているが、先に述べた大原省三さんは、戦前の修身の教科書に書かれた挿絵を手話として取り組んだと考えられるとその教科書を見せてくれた事を想い出す。
天皇への忠誠心の養を基に、孝行・柔順・勤勉などを教えた教科書の漢文。
生徒たちには、とても難しくて彼等は修身の教科書に書かれた挿絵を見続けていたのではないかと言う。
その挿絵には、楠木正成・正行父子の「桜井の別れ」で、楠木正成が形見にかつて帝より下賜された菊水の紋が入った短刀を授け、今生の別れを告げた。その正行が刀を受け取る場面が、描かれていた。
刀を受け取る側は、そのまま刀を握るのではなく逆に腕を返して刀を目上から下に下げて受け取る。
両手の手のひらをねじって受け取る手話表現は、手腕の機能性からあまりないので、大原省三さんの言っていた話を改めて考えさせられる。
なお写真では、京都の手話では道徳の手話は、肩よりやや下で両手の握り拳を合わせる。
この位置は、手話表現上では非常に大事である。最近のテレビで雨の手話を胸から下で表現していたが、高山から雲から降る雨を表現したのであれば解らないことのないが、平地で雨にあうのは頭上より上である。
手話の表現には、いろいろあるが位置、動きはとても大切でただ手指を動かしたらいいというものではない。
算数。
算数は、数えることの意味があり、手指を折り曲げて計算する動作で算数の手話を表している。
なお、サンスウのサン=3 と本を開く手話と組み合わせて、両手の縦の三本指を付き合わせて算数と表現する手話もあった。