手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
この連載を書いている訳の一つに手話が音声言語とは異なった視覚的言語とも言えるが、日本語でない、もう一つの言語と単純に決めつける人たちへの半鐘の意味もある。
だが、最も知っていただきたいのは人はあらゆる困難を乗り越えてコミュニケーションを創りあげる素晴らしい能力を形成しているということである。
人間の内的エネルギーとその「発露」に人がどんな場合に追い込まれてもその困難を包括して表現する能力の一つとして自他共に知っていただきたいからである。
なお、以上の手話は最近、流行や規制されている一部のほとびとが人為的につくった手話ではない。
以下のコロッケの手話も、コロッケが美味で高級品であった時代にろうあ者にコロッケとはなにかを説明して、それを示す手話で説明的な手話となっているがここにこそ手話がろうあ者同士のコミュニケーションとして創造発展してきた姿がある。
この表現が、ろうあ者に理解されてごく一般的に食されるようになると説明的な手話は簡略化される。
コロッケ。
ジャガイモ=馬鈴薯 馬(馬の耳)・塊・馬鈴薯の皮をむく・潰して・練って・高温の油に入れて・出来上がったもの。
コロッケの製法の時代が読み解ける。