手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{新投稿}ー京都における手話研究1950年代以前の遺産と研究・提議 佐瀬駿介ー
小麦。
漢字の小を表す小と右手を少し楕円形にして人差し指(麦・大麦は大で表す。)をその楕円形の上に添えて小麦の手話。
小麦粉になる一粒の小麦の形を示している。戦前、米も食べられない時代には小麦ごはんでもごちそうであったと明石欣造さんは語る。
楕円形に一筋の線が入った小麦、一つひとつを箸で食べるのは簡単でなかった。米のように粘りがなかったからである。でも、一粒、ひとつぶは生きる糧。
その小麦をリアルに手話で表している。
小麦に生きる術、想いが籠められている。
小麦の真ん中の線を表すが、他にも楕円形の種子などがあるので小と手話を取り入れて区別している。
今では小麦畑を目にすることは出来なくなったが、明石欣造さんが育った時代は、稲作が終わり、次に小麦が育てられる二毛作の時代だった。稲の茎をストロー(もともと麦の茎の意味も)にしたり、さまざまな遊びに取り入れたりしたとのこと。
麦は、暮らしにあった。だから、麦の特徴をよく見ている。
小麦粉。
粉・細かい、という手話があるのに、小麦粉はその手話を使って表現されていないところに注目したい。
小麦と小麦粉を練る動作で小麦粉の手話。
小麦粉を練る。経験無くしては表現出来ないであろう手話。練ってうどんなどに加工する過程が手話表現されている。
生産地でない、消費地としての独自の手話表現であるが、そこには生きる、食べる、暮らすという生活すべてがひとつ、ふたつの手話の組合せで籠められている。
前述した米は、白米で表現されていたが、白米が食卓に乗るのは珍しく、麦ご飯やうどんなどの小麦が貧しく生きる時代の食卓に添えられた歴史は長い。
ジャム。
トーストとジャム。ジャムといえば莓ジャム。
なかなか食することの出来なかった時代の想い出。
赤と鼻の形で莓を表現。莓の形を鼻で表し、鼻のブツブツを莓のブツブツまで現している。赤いいちごジャム。それをトーストにぬるしぐさで、ジャムの手話。
今日のようにジャムは多くなく贅沢品だった。
ママレードなどとなると京都の高級店でしか手に入らない時代。一度でもいいから莓ジャムやママレードでパンをと願ったと明石欣造さんは、トットッと語ってくれたことがある。
喫茶店で、トーストを頼むと、たっぷり莓ジャムを塗りつけ満足していた明石欣造さんの姿が今も瞼に残る。
京都の輸入店は、憧れでもあり、見るだけでも驚きであったし、入店するのに怖じ気づいたと言う。
その店は京都でなくなっている。