手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。投稿をお寄せください。

押しとどめる仕草と手話通訳

f:id:sakukorox:20171218143549j:plain

手話を知らない人も

                 手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃のことから}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

何かしなければという
焦りが手話通訳者を襲うとき

 

 新たな体験をしたとき、その印象は強く残るものである。

 

 ましてや知らなかった、いや知らされていなかったことを、知ったときの印象は心を揺さぶち続ける。

 

 手話を覚えはじめた頃、手話通訳として何かやらなければ、でも手話が分っているのか、という自問自答が右往左往して、自分を包み複雑な気持ちになることがあった。

 

 あるとき、ろうあ者のAさんが喫茶店に連れて行ってくれて、いつものごとく表現たくさんの手話を教えてくれた。

 

 京都には数少なくなったが、ろうあ者のたまり場の喫茶店は多くあり、店主も快く受け入れてくれた。

 

 手話で話す時は、椅子よりはみ出て熱中していたが、注意もわざとコップの水を替えて遮ると言うことはなかった。

 

 遠くからのあたたかい眼差しがあった。

 

   手話通訳をしようとすると
    押しとどめる仕草

 

 喫茶店で話すとこころがなぜかなごやかになる。

 

 帰りがけにAさんはたばこ屋に向かいたばこを買おうとした。

 

 慌ててAさんのところに行って手話通訳をしようとすると、Aさんは押しとどめる仕草をしたため佇んだ。

 

 「ハイライトクダサイ」

 

 そのAさんの声を聞いて正直びっくりした。

 

 なんと弱々しい声だろう、なんと悲しげな声だろう、なんと圧迫された声だろう、と思ったが、店の人に伝わるはずがないと思ったがAさんはハイライトを受け取るとすたすたと歩いて行った。

 

 店の人にAさんの声が通じたのだ、と思って二度びっくりした。

 

  この時私には、充分な理解が不足していたのだった。

 

 Aさんから重要なことを教えられていたのだが、気がつかなかった。