手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃のことから}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
手話で話をしていくことが増えるにつれ
Aさんの声が気にならなくなる
「ハイライトクダサイ」と言ったAさんの声を聞いて正直びっくりした自分なのに、Aさんと手話で話をしていくことが増えるにつれ、Aさんの声が気にならなくなり、どこに居ても平気になってしまった。
聴くことの重なりは、きこえの学習に繋がると思った。
「Aさんの声になれてしまったからだ」と思われる人も多いが、コミニケーションが重なるとはじめは分からなかったり、聞き取れなかった「ことば」が聞き慣れて、ききとれるようになることも多いと思う。
Aさんの気持ちを尊重することも知った
Aさんの中に人間として生きてきた素晴らしい姿を知ったときに、「ハイライトクダサイ」が「ハイライトください」と聞こえるようになったとも思える。
それとともに、Aさんの気持ちを尊重することも知った。
Aさんも「自分で出来ることは自分でするから」ということから、手話通訳を頼まなかったことも解ってきた。
手話通訳は、何から何まで全てろうあ者のためにするものではなく、ろうあ者の要求と必要に応じてすべきものであり、それを押しのけてまでするとろうあ者の気持ちを踏みにじることになる、とAさんは私にじんわりと知らせたようであった。
このことは、私の手話通訳に貫かれていくようになるが、「このことの応用」となると非常に微妙な問題も生じた。