手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

学習権なくしては人間的発達はありえない 学習権宣言 (The Right to Learn)

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手話を知らない人も

          手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

    学習権は人類の生存にとって

         不可欠な道具

 

   学習権宣言 (The Right to Learn) 1985年3月29日 第4回ユネスコ国際成人教育会議は、

 

  成人教育パリ会議は、この権利の重要性を再確認する。
  
 学習権は、きたるべき日のためにとっておかれる文化的ぜいたく品ではない。
 
 それは、生存の問題が解決された後にはじめて生じる権利ではない。

 

  それは、基本的はニーズが満たされたあとにとりあげられるものではない。

 

  学習権は、人類の生存にとって不可欠な道具である。

 

    学習権なくしては

            人間的発達はありえない

 

  もし、世界の諸人民が食糧生産やその他人間に不可欠なニーズを自給自足できることをわれわれが望むならば、世界の諸人民は学習権をもたなければならない。

 

  もし、女性も男性も、よりよい健康を享受しようとするならば、彼らは学習権をもたなければならない。

 

  もし、われわれが戦争を避けようとするならば、平和のうちに生きることを学び、互いに理解し合うことを学ばなければならない。

 

  ”学習”はキーワードである。

 

  学習権なくしては、人間的発達はありえない。

 

  学習権なくしては、農業や工業の躍進も地域の健康の進歩もなく、そして実際、学習条件の変革もないであろう。

 

  この権利なしには、都市および農村における労働者の生活水準の改善もないであろう。

 

  端的にいえば、学習権は、今日の人類にとって決定的に重要な諸問題を解決するために、われわれがなしうる最善の貢献の一つなのである。

 

  しかし、学習権は経済発展のたんなる手段ではない。

 

 それは基本的権利の一つとして認められなければならない。

 

 学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人間行為を出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである。
 
 それは基本的人権であり、その正当性は普遍的である。

 

 学習権は、人類の一部のものに限定されえない。

 

 すなわち、男性、工業国、有産階級、もしくは学校教育を受けるほど十分幸運な青年たちだけの排他的特権であってはならない。本パリ会議は、すべての国に対し、この権利を実施し、すべての者が効果的にそれを行使するのに必要な条件を作るように要望する。

 

 などと極めて重要なことが述べられている。(以下略)