手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

Integration(統合)とろう教育の早期教育 ろう教育における9歳の壁の破綻 インテグレーション考

f:id:sakukorox:20180117191915j:plain

 手話を知らない人も

   手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

ろう教育の早期教育が叫ばれ、3歳、4歳、5歳児になると普通小学校に入学することいインテグレーション(Integration 統合)として結果評価された。


 このインテグレーション(Integration 統合)という用語がアメリカにおける白人学校に黒人生徒が入学することとして使われた用語の導入であったことは、理解に苦しむ。

 

 しかし、1960年代から1970年代にかけてさかんにnew educationかのように言われた時期があった。

 

 ろう児が、インテグレーション(Integration 統合)=普通校に入学することがろう教育の成果として高く評価された。だが、その子どもたちがその後どのように育っていったのかはいつか触れてみたい。

 

  ハンナ・アーレント
  事実を踏まえて多くの問題を指摘

 

 ハンナ・アーレントアーカンソー州リトルロックのセントラル高校に黒人生徒が入学することに白人州民の85%が公立高校の「統合」(注 Integration)に反対していたが市教育長が最高裁の判決を受け黒人生徒の受け入れを決めた。

 

 それに不満を持つ人々が暴徒化した事件、そして白人生徒ばかりだった高校に入学した9人の黒人生徒は自主退学して転校している事実を踏まえて多くの問題を指摘している。(ハンナ・アーレント 1959年 リトルロックについて考える)

 

「ともかく普通校にインテグレートする」には耐えがたい

   個人としての誇りが
傷つけられていた問題があったのでは

 

 「人間の心理としては、まねかれていないという状況は(これは典型的な苦境である)、正面から迫害されるという状況(これは政治的苦境である)よりも耐えがたいものだ。個人としての誇りが傷つけられているからだ。」

 

 人間の心理としては、まねかれていないという状況は、正面から迫害されるという状況よりも耐えがたい、ということを考えると「ともかく普通校にインテグレートする」には、耐えがたい個人としての誇りが傷つけられていた問題があったのではないかと思える。

 

誇り
個人の全人格的な一体性の

ためには不可決なもの
強制されることによって
他人を強制するように

   強いられることによって

 

「誇りとは、誰かとの比較によって生まれるものではなく、劣等感や優越感ともかかわりのないもので、個人の全人格的な一体性のためには不可決なものなのだ。これは迫害によって失われるものではないが、強制されることによって、あるいは他人を強制するように強いられることによって、そして一つの集団から別の集団に移ることによって失われるものだ。

 わたしが南部の黒人の母親だったら、最高裁の判決はおそらく意図せずに、しかも不可避的な形で、自分の娘をこれまでになく屈辱的な地位に追い込むものだと感じるだろう。」

 

子供たちに責任を転嫁する
   極めて不公平なもの

 

「それだけでない。
 私が黒人であれば、教育と学校のうちに差別撤廃を持ち込もうと試みることは、成人だけでなく、子供たちに責任を転嫁するものであり、極めて不公平なものだと感じるだろう。

 そしてこの出来事の全体には、どこか現実の問題から目を背けようとする試みがあると確信するだろう。
 現実の問題、これは国の法律のもとでの平等であり、この平等が差別的な法律によって犯されているのである。
 平等を犯しているのは、社会的な慣習でも、子供たちを教育する方法でもなく、黒人を差別する法律である。

 自分の子供に平等な教育機会を与えたいのであれば、教育の均等を確保するのであれば、私は黒人の子供たちの学校を改善するために闘うべきだろうし、成績が低くても白人の学校でうけいれられなくなっている黒人の子供たちのためには、特別なクラスを設置することを要求すべきだろう。」

 

などなどを考えると、

 

「ともかく普通校にインテグレートする」

 

には、

 

「自分の子供に平等な教育機会を与えたいのであれば、教育の均等を確保するのであれば、私は黒人の子供たちの学校を改善するために闘うべきだろうし、成績が低くても白人の学校でうけいれられなくなっている黒人の子供たちのためには、特別なクラスを設置することを要求すべきだろう。」

 

の考えに立てば、たとえアメリカでの用語を機械的に日本に持ち込んだインテグレーション(Integration 統合)であっても、ろう学校の改革と普通校に受け入れられないろう児に対しては「特別なクラスを設置することを要求すべき」だったということになる。

 

 1960年代から1970年代にかけてさかんにnew educationかのように言われた時期には、すでにインテグレーション(Integration 統合)=普通校に入学することがろう教育の成果としてとらえることは破綻していたのである。

 

 それは「ろう教育における9歳の壁」と言い出したり、言っている人々が、破綻した内容を見ずに教育の外面だけをみていることでも解る。