手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
遠い尋常小学校に入学したわけ
Iさんの奥さんは貧困生活の中でも小学校に入ることが出来た。本来なら戦前の岩滝町立岩滝尋常小学校の入学のはずだがそうでなかった。
そのため岩滝町で生まれ育った教育関係の人に調べてもらったが、詳しく調べたがやはり岩滝町立岩滝尋常小学校に入学するのが通常だったとの返事が来た。
どうしてなのか、はもう解るすべはない。
ただひたすらキチンと座って
さっぱり解らなまま
しんぼう がまんの日々
Iさんの奥さんは聞くは出来ずともともかく、ただひたすらキチンと座っていた。
でも、先生が何を言っているのかさっぱり解らなまま、しんぼう、がまんの日々だったと言う。
そして、しんぼうし切れずに親を説得して学校をやめさせてもらい、幼い頃からしていた漁業の仕事を続けたと言っていた。
このほんの短い話の中に、詰め切れない悲しみがあったことは間違いがないだろう。
もうそれ以上聞くことを拒むような表情だったので話を切り替えた。
そんな二人がどうして知り合ったの?
「そんな二人がどうして知り合ったの?」
と聞いてみた。
すると、Iさんが恥ずかしがって顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「え、どうしたの」
といつも冗談を言うのに神妙になるIさんにもう一度聞いてみたが、ますますIさんは照れて、照れて、何も言わない。
長い沈黙が続いた。
Iさんがやっと言い出したのは、宮津で今の奥さんとすれ違ったとき、
「あっ、この人は聞こえない人だ」
と思った。
すぐ振り向いて追いかけたけれど、姿を見失った。と、その時のことを想い出して、「悲愴な顔」をした。
それから、Iさんは信じられない日々を過ごすことになる。
この話も顔を真っ赤にして、少し少し(京では、ボチボチの手話表現。鉛筆を人差し指に見立てて、鉛筆を削る手の動きをする。)話し始めた。