手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
いつのことかも知らなかったわ
ただ歩いていただけ
すれ違っただけで、この女性は聞こえない、と思ったIさん。
奥さんに聞くと
「ただ歩いていただけ、手話も知らなかったし。」
「いつのことかも知らなかったわ、その頃は。」
とあっさりした返事。
すれ違った場所に行きその女性を探すが
モジモジしたIさんは宮津での出会いだったと言う。
「それで、」
と聞いた。
戦前の自転車を持っている人の少なかった時代。
豪商Iさん宅には自転車があった。
Iさんは、昼休みになるとすぐ自転車を必死にこいで、Iさんの奥さんと、すれ違った場所に行き探す、見つからない、で、慌てて帰る。
仕事が終わるとまた自転車で、休日は一日中探し回った、とIさんは言う。
「それで、」
と聞くと。
Iさんは、「探す」と言う手話を次第に大きく(広げて)していった。
「で、みっかったん。」
Iさんはしょんぼり。
何ヶ月も同じ事の繰り繰り返し。
次第に出会った場所から地域を広げていった。
「探す」「探す」の手話の繰り返し
当時、京都北部の加悦谷、宮津、岩滝などの丹後地方は、舗装もされていない細い道で山道の高低差も多かった。
現在でも加悦谷から岩滝まで車で行っても時間がかかる。
だが、Iさんの話にはそれらの苦労話は一切が出てこない。
「探す」「探す」の手話の繰り返し。
同じ繰り返しについ、
「それで見つかったの」
と結論を聞いてしまった。
ついに、ついに、ついに
すれ違った女性に出会った
Iさんの表情は急に柔和になった。
岩滝町を走っていたときに、ついに、ついに、ついにすれ違った女性に出会った。
1年ははるかに過ぎていた、と言う。
「一度すれ違っただけで、その女性とわかったん。」
と聞くと、Iさんはコックリうなずく。
「で、奥さんはどうIさんのこと覚えていたの」
と聞いた。
「全然、知らなかった。」
と言うが。