手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
結婚はろうあ者二人の意思が尊重されることがきわめて少なかった。
結婚は自分たちの意志で
決定できることを知らない
ろうあ者同士の結婚には、家族、親類、社会の計り知れない「全面否定」があった。
また、ろうあ者自身の一部には結婚は自分たちの意志で決定できるのだ、ということすら知らさせていなかった。
また聞こえない子が産まれる
本人は「断種手術」
がされたことを知らないで
ましてや1969年以前からろうあ者が結婚して子供を産むと
「また聞こえない子が産まれる」
として、本人の知らない幼児期に断種手術が行われていることが多々見受けられた。
雪の積もった中でも梅の花が咲くように
結婚したのに子供が産まれない、と悩む聴ろうあ者。
医者に行くと「断種手術」が行われていたことが分かりるという悲劇はあまりにも多すぎた。
強制不妊手術が忘れ去られても
最近になって強制不妊手術を認めた旧優生保護法(1948~96年)で、手術をした医師が優生手術の認可がどれほどずさんだったかを明らかにした。
でもその実数は京都府の数を見た限りは、知り得た結婚したのに子供が産まれない、と悩む聴ろうあ者の人々の数から考えてもあまりにも少なすぎると思う。
でも、またいつか忘れ去られて今、書いても信じる人はきわめて少なくなるのではと思えてならない。
歴史的事実としても書き留めておかなければならないことがあった。
ろうあ者が人として平等な権利が保障されていない歪んだ社会状況は、戦前の「悪しき伝統」をひきつづき継いでいて、戦後の憲法は、ろうあ者の生活に生かされていなかった。