手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
未就学のろうあ者も含めたろうあ者も含めて京都のろうあ者の悲惨な生活を大きく変えていく取り組みの胎動は、1969年にあった。
そして、それから急速にろうあ者運動は発展して行くことになる。
立派な府議会議事場の想いで
2011年6月以降。私は久しぶりに京都府議会図書館を何度も訪れ、1960年代から1980年代にかけての京都の障害児教育が、府議会本会議でどのようにとり上げられたかを調べに行った。
議事録は公開されていたが、そのコピー代は情報開示の事務局に支払わなければならないという煩わしさがあった。
しかし、この事務局は、旧京都府議会議事場にあり、手入れはまったくされていないが昔の立派な府議会議事場の面影を残していた。
その後、大きく改修されたが。
二階の傍聴席から
見渡せた京都府議会議場
45年前にこの議事場で、京都のろうあ者問題の重要な転機になる出来事があったことを沸々と思いだし、手話通訳者はこの演壇の横に立って、手話通訳した。
二階の傍聴席からろうあ者が府会議員や知事や関係部長などのやりとりを見渡せた、と思うと感無量になった。
ろうあ者から何度も何度も聞かされていたので二階の傍聴席をしばらく見上げて佇んでしまった。
ろうあ者福祉を塗り替える
画期的な出来事
日本最初にろうあ者問題がとりあげられたのは、1962(昭和32)年7月10日福島県議会本会議
京都はそれから4年おくれた1966(昭和41)年12月21日であった。
しかし、京都において初めて京都府職員の手話通訳者が府議会議事場の演壇のすぐ横に立ち、ろうあ者問題が府議会本会議でとりあげられた点で歴史的な出来事であった。
それは、京都のろうあ者の生活を大きく変え、それまでのろうあ者福祉を塗り替える画期的な出来事であった。