手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
1966(昭和41)年12月21日
京都に二千人のろうあ者
手話通訳者はたった二人
ろうあ協会は創立されて、今年で十年になります。
事務所は、ろうあ学校内という事になっておりますけれども、事務室もありません。
NI先生やNN先生の教室が事務所という事になっております。
専従者もおりません。
今、ここで通訳して頂いておりますK先生は、福祉センターで課長をやっておられます。
日本で有数な通訳の一人です。
この京都に二千人のろうあ者がおり、協会の会員が六百人おりますけれども、通訳はたった二人です。
この現状を皆さんはどう思います?
身体障害者に対する
府の行政は
メッセージを贈る 補助金を流すだけ
今日までのろうあ者に対する京都府の行政というのは、一口で言いますと、補助金行政です。
これはろうあ者だけじゃないです。
盲目の人に対しても、肢体不自由(児)の人に対しても、身体障害者に対する府の行政というのは、メッセージを贈ることと、補助金を流す事だけです。
この事が、さらにこのまま続けられていいでしょうか。
ろうあ者の人々は耳もききこえないし、ものも言えない。
電話をかけることもできません。バイクに乗る事もできない。
今日たくさんの方がこうやって傍聴に見えておるのも、一人一人が電車に乗って、バスに乗って、連絡し、さそいあわせて見えてています。
郡部からも見えております。
地方事務所に行かれても、通訳、いないでしょう。
選挙権もありながら、投票場へ行ってどういう扱いを受けるのですか、その意味では、異国の人と全く変わらない実情です。
福祉センターも
ろうあ者にとってはほとんど無縁
ろうあ者の結婚の問題、就職の問題、将来の問題、いろいろな事が個宅に持ち込まれている
あるいは、ろうあ者の方々は云います。
子供が病気の時に一番困るのは、病院に行って自分の気持ちがお医者さんに通じない事だ、もし、子供に間違った注射をされたら一体どうなるか…、この事が心配でたまらない、こう云っております。
自主的な、自立的な生活が出来ない状態、しかし、基本的な人権というものは厳として存在しております。
しかも今日、福祉センターがありますが、この福祉センターも、ろうあ者にとってはほとんど無縁です。
つまり訓練が中心になっておりますから。
結婚の問題、就職の問題、将来の問題
いろいろな事が
一人の手話通訳者へ
ろうあ者の人々は、昼も夜も、このK先生の所へ行きます。
二人の中の一人の通訳の先生です。
自分の気持の通ずる先生は、K先生をおいてないんですから。
勤務中でもK先生をたずねて行きます。
夜、自宅に帰っても、K先生の家はろうあ者で一杯であります。
そこで、結婚の問題、就職の問題、将来の問題、いろいろな事が話をされ、K先生はその相談にのっているんです。