手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
福祉事務所長の「筆談」は、紙に鉛筆で書かれたもので紙質も悪く、もうほとんど消える寸前のものであった。
「筆談」で相手に自分の主張が通じたと
この「筆談」を読むと
1,漢字とひらがなの使い分け。
2,ひらがなで書いても「よけいにことばの使い回し」が分からないところ。
3,「筆談」で相手に自分の主張が通じたと思っているところ。
4,両日とも不在だとしているのに書いていることにおかしい部分があること。
5,そして、文から読み取れるろうあ協会や聞こえない人々とのこと。
この「筆談」には、今日でも「色あせないで」いる障害児者問題の 多くが内包されている。
福祉事務所長に
もう一度確かめたときの話を
ろうあ協会の機関誌に掲載
1968年10月13日付け山城ろうあ協会は、機関紙を4ページにわたる特集を組んでいる。
そして、事実関係を調べた結果、「我々は抗議する!!」という見解を出しているが、そこには福祉事務所長にもう一度確かめたときの話が掲載されている。
所長の話は、「筆談」とまったく異なった話となっている。
誤解だけで書かれては困ります
話だけでは
証拠が残らないので決めて手もない
その所長の話したことは、次のようなこととして書かれているので、全文を掲載する。
「この記事を見て新聞に出たことについて市の方がびっくりしている。」
「職員同志が笑顔で話ををしたりすることがありますね。
あなた方が窓口へ来られた時に、福祉の職員が自分達を見て笑うとうことをいわれる。そうではないかということです。職員が笑うから不快な気分になる。」
「誤解だけで書かれては困ります。」
「誤解でちがうかということ、事実なら私があやまります。今後こんなことがないようにしなければなりませんので」
「あなたには事実と思っていても、私も職場の責任者として両方とも疑いたくありません。でも話だけでは、証拠が残らないので決めて手もない。
全ての人が納得のいく証拠があるならもっとこの問題もハッキリ出来ます。が、云うた云わんというのは問題があいまいになるということ」
「記事に書くとかいうことはハッキリした証拠がないといろいろ問題があとに残ります。」
「新聞の性格とはどういうことですか。あなたの主観ですか。みんなとは-しかし書いてあるのはあなた方が窓口に来られた時のことでしょう。
あなたの不快の原因は、あなたのとりちがえということはありませんか。そういことも考えられる。」
「どういうことかよく分かりませんが、少なくとも私は、ろうあ者の方が窓口に来られても、普通と同じように親切に気持ちよく応対することを心掛けている。私の気持ちは、職員も同じように、心掛けている。」
「(ろうあ者厚生対策事業費について地元新聞には)ろうあ者とかいていますが、身体障害者に対する予算として使うようなことをしています。
たとえば、研修会の講師謝礼とか会場使用料とか必要に応じて支出することにしています。43年3月まで、今年初めて予算をとった。ろうあ者の方々だけでなく盲人の方もこういう計画があれば使ってもらうことにしています。
だから計画書を出してください。」
所長は「筆談」で書いたことをまったく忘れているか、書いたことを軽んじていたか、ろうあ者は読めない、と思っていたようである。
それまでは、所長のようなやり方で事は済んでいたが、事はそうは行かなくなって行く。
所長自ら書いたことと、確かめられたときの「言い分け」が、ハッキリとあきらかにされていくからである。