手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
宇治市手話通訳保障に
全国初の予算
「なぜ、ろうあ協会の責任で手話通訳を呼ぶのか」「市の方が責任を持って手話通訳を呼ぶのがあたりまえではないのか。」という道理あるろうあ協会の追求に対して、宇治市は、宇治市に手話通訳が来るたびに「旅費・謝礼」を支給するという全国初の予算を緊急に組んだ。
そして、ろうあ協会との話し合いなどなどに来た手話通訳に市から直接「旅費・謝礼」が支給された。
ろうあ者にクライシグナル
を無償で交付されたい
事件が起きた1968(昭和43)年7月8日の翌年。
1969(昭和44)年10月11日に宇治市ろうあ協会は、みんなと相談して「宇治市に対する要望について」を提出する。
その主な内容は、
1,市に専任手話通訳を置かれたい。
2,ろうあセンターの事業に市としても助成されたい。
3,ろうあ会館をつくり、ろうあ者にいこいの場を保障されたい。
4,市職員にろうあ者を採用されたい。
5,市営住宅への優先入居をすすめられたい。
6,ろうあ者夫婦の子供を保育所への優先入所を行われたい。
7,ろうあ者にクライシグナル(注:乳児が泣いたとき点滅ランプで知らせてくれる機械。当時非常に高価なものでろうあ者の給料からはとても買える金額ではなかったに。)を無償で交付されたい。
8,ろうあ者老人の生活を保障されたい。
9,ろうあ者の要求に基づいた「ろうあ者成人講座を最低1ヵ月1回開かれたい。
10,ろうあ者の福祉保障のための実態調査をすぐ行われたい。
というものであった。
この要望に基づいてろうあ協会は血みどろの取り組みをする。
そして2年以内に、1,5,6,7、9,10の要求を実現し、その後、そのほとんどの要求を実現していく。