手話 と 手話通訳

手話通訳の取り組みと研究からの伝承と教訓を提起。苦しい時代を生き抜いたろうあ者の人々から学んだことを忘れることなく。みなさんの投稿をぜひお寄せください。みなさんのご意見と投稿で『手話と手話通訳』がつくられてきています。過去と現在を考え、未来をともに語り合いましょう。 Let's talk together.

結婚に大反対 結婚して生まれた子どもがこの子だ !! と胸をはる 優生保護の不妊手術などの不当さと闘ったろうあ協会の歴史

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手話を知らない人も

             手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介

 

 障害者福祉の対策は
 障害者が産まれないようにするのが基本
 
 京都府などとの行政への「おねがいから」大きく変わり、要求を出してその要求を実現するためのろうあ者の要求は野火の如くひろがった1960年代後半から1970年代初頭にかけて交渉の中で重大問題が明るみになった。

 

 京都府の幹部との交渉で交渉の中で、

 

京都府の総合的な対策を確立するため、京都府社会福祉対策協議会なる知事の諮問機関が作られている。」

 

 その京都府社会福祉対策協議会事務局長が、

 

「障害者福祉の対策は、障害者が産まれないよう、にするのが基本である」

 

と主張し続けた。

 

 そのため会場は手話の嵐と机や壁を叩くもので騒然となった。

 

あまりにも苦しかった

 過去が怒濤のように押し寄せて

 

 机を叩きながら泣き出すろうあ者。

 

 産まれてきたことや産むことが禁じられて来たことやそれまでのあまりにも苦しかった過去が怒濤のように押し寄せてきたからである。

 

 行政のトップに立つ、しかも京都府社会福祉対策協議会というこれからの福祉の基本方向を決める中心人物のことば。

 

 ろうあ者の怒りと失望は消えることはなかった。

 

結婚に大反対されて
それでも結婚して

   生まれた子どもがこの子だ

 

 結婚に大反対されて、それでも結婚して生まれた子どもがこの子だ この子を産んだのが間違いというのか!!

 

 ろうあ者は大声を出して手話で発言したが、声が「鮮明」でないため手話通訳者はろうあ者の声のトーンに合わせて大声を出しながら手話通訳した。

 

「私たちに対する、あやまった偏見を助長するものだ。」

 

「障害者は結婚するなというのか。」

 

「私は、結婚に大反対されて、それでも結婚して生まれた子どもがこの子だ。この子を産んだのが間違いというのか。」

 

「この子が産まれてうれしいし、喜んでいる。そうじゃないというの。」

 

「障害のある人がナゼ産まれるのかという社会的背景をまったくぬきにしている。」

 

「障害児者が産まれなかったら、産まれないようにしたら社会福祉は不必要になると言うことなのか。」

 

「障害者が生きる喜びを持てるようにして、そのことをもっと社会に知らしていかなければならないのではないか。」

 

「そういうことを京都府がしてこそ、障害者と多くの府民が手をつなげる。それを分断するようなことを京都府がするのか。」

 

「知事は、ろうあ者のみなさんが本当に生きがいのある社会にするようこれはお約束すると言ったではないか。」

 

「あなたたちに言うようなことで、生きがいなんてどうして出るの。」

 

「生きがいと、産むな、と言うことはまったく対立する。」

 

抗議の嵐が交渉の場に吹き荒れた。