手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議佐瀬駿介
コロンブスの卵。
大陸発見はだれにでもできると言われたコロンブスが、卵を立てることを試みさせ、一人もできなかった後に卵の尻をつぶして立てて見せたという話。
事実や評価は、別にしても現在からのみ見て過去を評価する人々の話を聞くと、いつもコロンブスの卵のはなしを想い出す。
数知れない多くの人々の努力と
協力が渦巻いていた深層
ライトハウスの「移転」とろうあ協会の事業場の確保のはなしも、だれにでもできた、ように思われているが、深層は数知れない多くの人々の努力と協力が渦巻いていたのだ。
その渦の中から京都ろうあセンターの構想と偉大な第一歩がはじまった。
京都ろうあセンターを引き継いで、京都聴覚言語センターが出来たかのように書かれたり、話されたりする事がほとんどである。
たしかに第一歩を踏み出した京都のろうあ者の人々の勇気と努力は、その後の京都聴覚言語センターへと移行するが、すべてがすべてそうではない。
どうするのか維持・発展させて
運営していくための資金
ライトハウスの移転の後のライトハウスは旧ライトハウスとして盲人の人々に語り継がれたが、ろうあ者もまた自分たちのものとしてだけ考えて言う事はなかった。
結果的に、建物と土地は使用出来るようになった。だが、いくら建物があってもそれを維持して、発展させて運営していくためには資金が必要であった。
これをどうするのか。
喜びとともにまた多くの壁が立ち塞がって来た。
それ以降幾度も、いやそれ以前も幾度も壁を乗り越え、多くの川を渡りきってきた。それが、京都のろうあ者とろうあ協会だった。
だから、京都ろうあセンター設立を一人称、二人称、三人称で語ることは出来ないし、また一人称、二人称などで書いたり語ったりする人々の虚偽に身を震わせる怒りを覚える。
再び同じ苦しみを経験をしない
経験をさせないと重大決意を固めて
金、資金。
またまた京都のろうあ協会はこの問題に直面したが、同時に過去の経験から多くの人々の願いと善意を踏みにじるような事で資金が奪われてはならないという底知れぬ想いがあった。
寄付、カンパ、これ以外に方法はなかった。
多くの人々の協力を得るために再び同じ苦しみを経験をしない、経験をさせないと重大決意を固めてまずろうあ者が身銭を切り、多くの人々の協力を得るための第一歩をはじめた。
だが、底にはいつまでも寄付に頼る事なく、社会保障を国や行政が保障する、保障させるという決意が込められていた。
資金の見通しが極めて不充分であっても、旧ライトハウスをろうあ者のセンターとするための京都ろうあセンターの準備が、はじめられた。
見通しが極めて不充分であっても
京都ろうあセンターの看板を高々と掲げる
資金の見通しが極めて不充分であっても、京都ろうあセンターの看板を高々と掲げる。
そして、いつ潰れてもおかしくないが、潰さない、という背水の陣で京都ろうあセンターの事業は紆余曲折しながらも創められた。
1968年。