手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
立合演説会は、選挙立候補者に直接出会い、その公約や抱負を知り得る重要な機会であった。
現在のようにTVでの画面を通して候補者を知るよりも候補者の登板、一挙手一同を知りうる絶好の機会であった。
すべてを一斉に見る・知る選挙
機会とろうあ者のねがい
選挙の立候補者に直接出会ということは、ろうあ者にとってとても大切で政治を知る、見る、という絶好の機会だった。
名だたる大臣経験者も他の候補者と同様に決められた時間、決められた場所で直接有権者と接してその前で演説するという「直接選挙」の様相を残していた。
そして、選挙の立候補者のすべてを一斉に知ることの機会であったためろうあ者から立合演説会へ参加するため手話通訳者の配置が要求されていたが、1968年当時、全国的に手話通訳者の配置そのものがほとんど認められていなかった。
在宅投票など日本の選挙制度はあまりにも多くの問題があり、長く有権者の要求を無視してきていた。
ろうあ者の立合演説会への参加を拒む
偏見といつわり
東京の報告にある、手話通訳者の中立性、ろうあ者が声をたてること等の理由で、(東京都選挙管理委員会が)難色を示したが、結局、許可された、のはろうあ運動の成果の結果であり、当時の選挙管理委員会や行政・参政権に対する重大な問題を白日の下に晒したということである。
ろうあ者が声をたてるなどの理由で手話通訳を断り、ろうあ者の立合演説会への参加を拒むのは、偏見そのものであった。
ろうあ者が声をたてる、よりも選挙が激化すればするほど立合演説会のヤジ、怒号のほうがはるかに大きかったことを選挙管理委員会は充分承知していた。
それにも関わらず、ろうあ者が声をたてる、などとして聴衆があたかも静寂の中で演説を聞いているかのように言い、それとろうあ者を対比させて手話通訳の配置も含めてろうあ者の立合演説会に参加することをい断るなどは、絶対許されないことであった。
この不当な事実に対して、粘り強く話し合いを重ねて改善させたことをが短文の中で読みとれる。