手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
戦前戦後、ろうあ者はもとより多くの人々が、無権利状況に置かれていた。
ろうあ者の場合は、自分たちの願いや要求を「外部=社会」表示することが出来なかった故に無権利状況に拍車がかけられていた。
「押さえつけて」は
ならないと戒めの意味も
そのようななかで手話通訳者の登場は、ろうあ者の願いや要求を社会に提示し、その無権利状況を改善する第一歩となった。
そのろうあ者の願いや要求を手話通訳者が健聴者側の主張にたって「押さえつけて」はならないと言う戒めの意味も含めて「一、ろうあ者の生活と権利を守る基本的立場において通訳活動の実践ととりくみます。」という第五回全国手話通訳者会議の六項目の議決が出されてきた。
これは、時代推移のなかで評価されるものではあるが、この第五回全国手話通訳者会議には、第一回全国手話通訳者会議と同じメンバーが参加していたわけではない。
むしろ今は知られていない参加しなかった、参加出来なかった手話通訳者のことに思いを馳せるとさまざまなことが解ってくる。
身体・精神ともにボロボロ
になった手話通訳者は
限られた手話通訳者が、応えきれない手話通訳要請に身を挺して応えていた手話通訳者。
24時間休むことはなく、という言い方も決してオーバーではない実態のなかで身体・精神ともにボロボロになり伏せり、手話通訳という世界から去って行った。
いや、社会生活もままならない状況に追い込まれていった。
身を粉にして手話通訳をするといっても何の物質的保障がないなかで去って行った手話通訳者も多い。
手話通訳者は
ろうあ者との関係で「従」に
このようなときだからこそ、ろうあ者の生活と権利を守る、ことだけではなく手話通訳者の生活と権利を守る、ことの切実な訴えがなされてきた。
同時に、みんなの生活と権利が守られないと一部の権利や生活が守られるだけでは問題は解決しないとされてきた。
だがしかし、ろうあ者の生活と権利を守る、ことだけが強調され、手話通訳者や人々の生活や権利との関連が述べられなかった。
特に手話通訳者としては、自分たち自身の生活や権利をないがしろにしてろうあ者の生活や権利だけを言うだけでは、手話通訳者が、ろうあ者との関係で「従」になり、実態を無視して手話通訳者が身を粉にして手話通訳をしなければならない、ということに陥る道筋をつくってしまった。
「聞こえる人は優位な立場」説
に立つ優越感
さらによく考えると、自分たち自身の生活や権利をないがしろにしてろうあ者の生活や権利だけを主張する背景には、手話通訳者は「ろうあ者より優位」な立場にあることを前提にする「聞こえる人は優位な立場」説に立つ優越感があったのではないかとも言える。
以上のことを考えると「一、ろうあ者の生活と権利を守る基本的立場において通訳活動の実践ととりくみます。」は、手話通訳者や人々との関係で多くの問題があった。
手話通訳者は独自な立場を維持しつつも
日本の社会状況から考えて、ろうあ者の生活と権利を守る基本的立場はろうあ者・ろう団体などであり、手話通訳者は独自な立場を維持しつつもろうあ者の生活と権利を守る基本的立場はろうあ者・ろう団体などと連携・連帯するということを明示すべきであった。