手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
当時慎重に検討すべきこと
六項の第五回全国手話通訳者会議の議決である
一、 私たちは常にろうあ運動と連帯し、手話通訳保降の実現につとめます。
この項は当時慎重に検討すべきことであった。
ろうあ者の人々の多くは困難を極めていたうえに社会的理解が希薄だった状況のなかで、生きて幸せを享受する取り組み。すなわち運動が1970年代に急速に高まった。
この運動は、ろうあ者の諸問題を解決する要求を達成するものであった。この運動がなければ、今日のろうあ者問題の社会的広がりと理解は遠のいていたであろう。
「運動」と言うことを極端に嫌った
国・都道府県の行政担当者
事業助成を受けることに目的化されて
国・都道府県の行政担当者は、この「運動」と言うことを極端に嫌ったし、現在でも否定する。だが、これは自分たちの生きる権利、生存権を守り、さらに充実させていくための当然の行動でもあった。
近年、この運動を行政からの事業助成を受けることに目的化されていて、事業助成を受けることを、運動の要求が通ったとする傾向が前面に押し出されている。
だが、それは国・都道府県の行政担当者が「運動」と言うことを極端に嫌ったことを容認するもので、事業助成を受けることは多くの場合、 国・都道府県の「支配」を受けることになり、ある意味自らを縛ることになっていないだろうか。
ろうあ者運動は、誰にも制約されない自分たちの要求を実現させることであったはずである。
時代に制約されない
自由で際限ない自分たちの要求
そこには、時代に制約されない自由で際限ない自分たちの要求がある。
これに対して「一、 私たちは常にろうあ運動と連帯し、手話通訳保降の実現」とすることは、手話通訳者も手話通訳保降の実現して、ろうあ運動と連帯するということではなく、手話通訳保障実現ためにろうあ運動に連帯するという手話通訳者の主体性が欠如していたとも考えられる。
そのため手話通訳保障の意味や意義やあり方までろうあ運動に依存してしまう傾向が如実に出てきた。
さらにろうあ運動に「私たちは」、連帯しなければならないのだろうという問題がある。