手話を知らない人も手
話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
六項の第五回全国手話通訳者会議の議決である
一、 私たちは手話通訳者の身分保障、活動保障を実現させるために努力します。
の事項は、現在よりかなり深刻で切実な問題であった。
最近時々聞くのは、お金がなくなったから手話通訳やらして、お小遣いがなくなったから手話通訳する、ということがある。
さまざまな事情があるのだろうと考えるが、手話通訳者の身分保障、活動保障を実現させる、と決められた当時は、手話通訳をしてもほとんど自腹か、謝礼が出てもごくわずかだった。
手話通訳は、奉仕、という名の下に手話通訳者の生活は保障されなかった。手話通訳をすればするほど手話通訳者は「潰れて」いった。
経済破綻をおこして去った手話通訳者たち
ある県で、この問題を話したとき手話通訳者の一ヶ月の収入はとても生活出来るようなものではなかったし、本業・副業を合わせたとしても手話通訳としての活動をするための支出のほうがはるかに多かった。
著名な手話通訳者はそうではないが、ひたすらろうあ者のために手話通訳をする人々は経済破綻をおこして去って行った。
生き残れた生活が出来た手話通訳者が、過去のこのような状況をあれこれ述べているが、まったく的を得ていない。
過去の犠牲のうえに今日の手話通訳をする人々がいるが、その手話通訳は手話通訳保障がされなかった時代の人々のねがった手話通訳であったのか、深く検証すべきだろう。
人たるに値する生活
すらなかった手話通訳者の仕事
「労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」
「定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。」
という意味合いも含んでいた。
手話通訳という仕事で「人たるに値する生活」「その向上を図る」とねがっていたとも言える。
ILO ディーセント・ワークと
手話通訳者の未来と現実
1999年に国際労働機関(ILO)総会で、ディーセント・ワーク(英語: Decent work)という概念が決められたが、このディーセント・ワーク(英語: Decent work)は、「働きがいのある人間らしい仕事」などと訳されたりしているが、必ずしも適切でない。
国際労働機関(ILO)の事務局長が提案したディーセント・ワークは、人間が人間としての享受する労働、という意味合いがあり日本の概念になかったため「働きがいのある人間らしい仕事」と真意を汲んだ日本語訳になっていない。
人間が人間としての享受できる労働、の保障をもとめたのが、「 私たちは手話通訳者の身分保障」だったといえる。
困難な時代のなかで先達者は未来に思いを馳せ、現実を変革しようとしていた。