手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
第7回全国手話通訳者会議を調べて見ると第1回全国手話通訳者会議以降まで手話の統一や新しい手話をつくると言うはなしなどはごくまれな場合を除いて出てこない。
それはなぜか。
各地の手話は、手話として当然のように手話通訳者は習熟していたし、地域によって異なった手話であることも承知していたのである。
特に全国交流がはじまると、それぞれの手話表現への対応と意味合いを尊重しながら手話通訳が行われていた。
当然のこととして考えていたので、一つの手話ー一つの意味とは考えていず多様な組合せで手話表現出来たのである。
このことを知るにつけ 第7回全国手話通訳者会議参加の手話通訳者のレベルは高く、対応能力も高かったと言える。
第7回全国手話通訳者会議 第3分科会「手話技術の諸問題」
権利が保障されないまま
働かされたりするときの知識
札幌
私の通訳の経験から就職間題に関した通訳の場合, ろうあ者の意志、を伝えるということからまだ通訳として完全でないことを反省させられます。
働く者の権利が保障されないまま、働かされたりする, そんな時通訳者として知識が必要だということです。
手話技術
これが良いという共通の手話は存在しない
助言者より
問題を単純化するということです。
通訳もその人個人によつて違います。
論理的な人は通訳も論理化され, ムード的な人は通訳もムード的になる。
このように技術の発展から通訳が専門化されるということです。
ろうあ者の場合, 目で手まねを見てそれを頭の中で整理しますが, それを時間的に見ながら記憶することはむずかしい。
頭の中で整理されたものを今度は消化することが必要。
通訳はろうあ者と一緒に考えて行く必要があると思います。
手話技術の面でこれが良いという共通の手話は存在しないと思う。
ろうあ者運動の発展は通訳者の位置づけの方向にある。
通訳者は, 政治、経済において政治職をおびて通訳をやるというなら抵抗を感ずる。
政治や宗教が関係してくると通訳はむずかしくなる。
各地域において通訳をどのようにもつていくかということである。