手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
1960年代以前のろうあ者にとって切実なねがい
手話の理解と広がりは、1960年代以前のろうあ者にとって切実なねがいであった。
手話と口話を比較して論じる人々は、この両者の根本的違いを抜きに論じているように思える。
口話と手話は異次元のコミュニケーション
すべてではないが、
口話は聞こえる人が話したことをろうあ者が「わかる」こととして発語が考えられてきた。
手話は、ろうあ者同士で話したことがわかることで発達してきた。
だから、聞こえる人がろうあ者の言っていることがわからない!!とされて
手話はだめだとされてきた。
こういったことは近年しばしば話し合われるが、極めて断定的に考えられているのではないか。
手話については、もう一つの重要なことが忘れ去られているようにも思える。
手話は
集団コミュニケーションを可能にした
手話が集団コミュニケーションを可能にするという事である。
100人ほどの人々の前でいろいろな機材を使わなくて口話だけで話してもコミュニケーションはほとんど成立しないし、口話が読み取れないのは明らかだろう。
だが手話の場合は、1000人でもコミュニケーションが成立する。数十メートル離れた所でも手話を読み取れるからである。
この集団コミュニケーションの手段としての手話は、手話を否定する多くの人々が居る中で手話の社会的理解と認識を広げた。
このことを再認識、再評価すべき時代を迎えている。
集団コミュニケーション
の手段としての手話の発達
集団コミュニケーションの手段としての手話の発達は、それまでのろうあ者の想いと表現の知恵を前提にされなければならないが、そのように理解されて居るとは考えられない事がある。
例えば、花の手話でも手話で表すとき、下方、膝の辺り、腰の辺り、胸の辺り、頭の辺り、頭より上の辺り、で花のイメージが捉えられることが出来る。
手話は四次元の表現なのであることを忘れてはならないだろう。
手話は、時空を超越するコミュニケーションなのである。