手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿・1969年頃}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
1974年の第7回全国手話通訳者会議を最後に全国手話通訳者会議は開催されず、全国手話通訳問題研究会への移行されることが決められた。
当初、全国手話通訳問題研究会は全国手話通訳者会議の慣習を踏襲していたが、次第に全国手話通訳問題研究会内部の結束と拡張をはじめる。
評価はさまざまあるが、多くの異なった考えを交流し合う場が次第になくなって行ったことは事実であろう。
このことについて次から最初に全国手話通訳問題研究会のほとんどの運営などを担っていた人へのインタビューを掲載して全国手話通訳者会議が第7回で終了してしまったことについて考える。
第7回全国手話通訳者会議 第4分科会「サークルの諸問題。学習」について
手話サークルの目的の多様化
5. サークルの広場・ 目的(基本的なもの)
☆山形(酒田)
ろうあ者との交流を重点的にして人間関係を大切にしている。
☆沼津
専門通訳の設置、 市に交渉して通訳派遺、 例会々場の確保等を要求している。
☆みみずく会
専任通訳を各市に設置。ろうあ者の生活の中に入りヒズミの解消。行政への批判など。
☆松ぼっくり
ろうあ者の中から生れ、ろうあ団体の援助でできた。ろう協と一緒に活動している。また、PT A等の通訳活動も実施。
☆浜松 やまびこ
ろう協と一緒に運動し専任通訳の設置。
☆大阪 ひらかた
ろうあ者から青年学級を要求された事がきっかけ。
☆長崎手話サークル
通訳者はろうあ者の情報局でもあるので. 常に情報の収集に努める。
☆宮崎
ろうあ者との交流が主。日曜教室・編物・料理-PTA等の通訳。
☆山形 長井
ろうあ者と健聴者との和をひろげる。
☆長野手話サークル
ろうあ者の要求により創立。ろう協と協力しながら活動していく。
助言者 長谷川氏まとめ
手話サークルの運営ということで今日まで二日間話し合つてきたが、 幅広い間題なので、 いろいろサークルの大小もあり. それぞれの受けとめ方で、有意義な話し合いがなされたと恩う。
ろうあ者との連帯(ろう協会)で活動していくという基本がしつかりしているのでサークルとしてもよいのではないかと思う。 いろいろな問題が残つているが今回はこれで終りにする。