手話を知らない人も
手話を学んでいる人もともに
{再編集投稿}京都における手話と手話通訳の遺産と研究・提議 佐瀬駿介
全国手話通訳問題研究会結成
初代全国手話通訳問題研究会事務局長
谷勇男氏へのインタビュー
全国各地域で真面目に
手話通訳していた人々がいたからこそ
愛知の長谷川さん、山口の綾城さん、静岡の高橋さん、福島の小林さん、丹治さん、東京の綿貫さんとかが、真面目な考を持って活躍していた。
この人たちにおかげで研究団体として全国手話通訳問題研究会が結成されることになる。
-ー何らかの研究会はつくらなければ、となっていた。
京都ろう学校の村上先生が、研究団体形成の理論的、実践的推進役だった。
-ー青森の第7回全国手話通訳者会議で全国手話通訳問題研究会は結成された?
いや土台づくりだけで全国手話通訳問題研究会結成はしなかった。
-ーそうなると全国手話通訳問題研究会結成式はなく、ただたん全国手話通訳問題研究会がつくられたとして規約や役員などは後からつくられたということになりますが。
そう。
はじめに全国手話通訳問題研究会ありきではじまったので何年、何月、何日に全国手話通訳問題研究会がつくられたとは言えない。
会を作ったとしたが、内容は後からつくられた。
全国手話通訳問題研究会には
財政基盤はほとんど無かった
全国手話通訳問題研究会結成当時は、委員長などはない。
事務局制度で事務局長は私。手話通訳実践は向野さん。伊東雋祐先生は関わってこなかった。
-ーええ、全国手話通訳問題研究会結成後は事務局で運営して運営委員会や委員長もなかったんですか。
そうです。
向野さんも伊東さんも全日本ろうあ連盟の参与だった。
伊東先生は向野さんが取り組んだ大変な状況、ドロドロした現実の中の手話通訳やろうあ者問題を聞いて、文にしていた。
伊東雋祐先生が、体験して、知ったことではなかった。
貞広さんは、全国手話通訳問題研究会に関わっていない。
他の財団に関わっていた。
-ー全国手話通訳問題研究会事務局は何をしていたの
全国手話通訳問題研究会の会員に連絡、会員の募集。お金がまったくなかったので、ろうあ問題研究会をつくり、本を売る。
ライオンズクラブから寄付をもらって「手で話そう」をつくった、静かなブームが生まれたりして。全国手話通訳問題研究会で講座を開いてその講座費用などなどでまかなう。
大会の費用などなどそれらは全部、伊東のり子さん(伊東雋祐先生の奥さん)がすべてやりくりしてくれた。
財政基盤はほとんど無かった。
ようするにお金はゼロから全国手話通訳問題研究会はつくりあげられたんです。
多くの人の努力で。
-ー全国手話通訳問題研究会は、青森で委員長をはじめ運営委員会などの体制が出来たと現在の全国手話通訳問題研究会の人々は思い込んでいるようですが、そうではなかったんですね。
そうです。
歴史を後からつくるようなことはだめですね。
資料が残っているから調べればすぐわかるのに。
調べないで断定しているのでは。